船橋市 下水道 発祥の地
ふなばししげすいどうはっしょうのち
新京成線 高根公団駅から 北西に800m。高根台団地のほぼ中央の北縁に高根台さくら公園(高根台3-2-1)がある。その西側入口近くに 「高根台処理場の沿革」と書かれた黒御影石の石碑が建っている。
UR(旧 住宅公団)の高根台団地は, 高度成長期の昭和36年(1961) に建設された全戸数4,600戸余の賃貸型マンモス団地。団地開発にあたり, 巨大なニュータウンの下水を処理するために団地専用の下水処理場がこの地に建設された。船橋市で最初の公共下水道であった。
その後、千葉県全体の下水処理計画の実施に伴い, 昭和60年(1985) に“印旛沼流域下水道”に切り換えられ, この処理場跡は公園として一般公開された。
“流域下水道”とは 複数の市町村の公共下水道を広域的に集めて終末処理場で浄化する システムで, 千葉県には“印旛沼流域下水道”の他に“手賀沼流域下水道”“江戸川左岸流域下水道” などがある。“印旛沼流域下水道”は 千葉市・船橋市・成田市・佐倉市・習志野市・八千代市など15の市町村をまとめた下水システムで, 終末処理場は千葉市美浜区にある。
写真
碑文
髙根台処理場の沿革
高根台団地の下水を処理するため, 船橋市で最初の下水処理場としてこの地に建設された。
- 昭和36年(1961)6月,
- 高速散水ろ床法により処理開始。
- 処理面積 77.7ヘクタール。
- 〃 人口 15,000人。
- 〃 水量 3,000立方米/日。
- 昭和60年(1985)5月,
- 印旛沼流域下水道への切り換えにより全施設の運転を停止した。
時代の変遷にともない, 緑あふれる公園に移り変わって行くが, 当地を船橋市下水道発祥の地として記念碑を置くものである。
昭和63年(1988)3月
船橋市長 大橋和夫