下駄スケート 発祥の地
げたすけーとはっしょうのち
諏訪湖の北岸、JR下諏訪駅から 1.5kmほど東。「下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館」の敷地内に この石碑が建っている。
日本にスケート靴が紹介されたのは 明治10年ごろで, 貧しい庶民には 手の届かないものだった。そこで普及したのが下駄スケート。下駄の歯にスケートの歯をつけたもので, 冬季に結氷する諏訪湖で下駄スケートが盛んに行われたのだろう。諏訪湖博物館では 下駄スケートを各種見ることができる。
- 下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館
http://www.town.shimosuwa.nagano.jp/navi/kyouiku/hakubutsu/suwakomuseumtop.htmlhttp://www.town.shimosuwa.lg.jp/www/genre/1474269863762/
2001年に諏訪湖一周マラソン走行中に発見していただいたこの碑を2018年に訪問したところ、背面に碑文がありましたので追記した。
写真
碑文
下駄スケート発祥の地
下諏訪町高浜
大和作内 作
下駄スケート発祥の地
諏訪湖でスケートが行われるようになったのは、明治時代中ごろのことである。明治三十八年に鉄道が岡谷まで開通し、東京方面から諏訪湖へのスケート客が訪れるようになってきた。翌明治三十九年一月、下諏訪宿木ノ下の飾職初代河西準之助は、山式下駄スケートを考案製作した。当時のスケートはそのほとんどが外国製の物で高価であったため、この下駄スケートの製作は、諏訪のスケート普及に多大な影響を与え、スケート熱はたちまちのうちに伝わり、明治三十九年二月には、諏訪湖氷滑倶楽部発会式が下諏訪高浜湾で開かれ、初のスケート大会が行われた。明治四十一年には初のスピードスケート諏訪湖一周大会が開かれるなど一大活況を呈するようになった。
このように下駄スケートの普及は、諏訪の人々にとって恰好の冬のスポーツレジャーとなり、諏訪湖はスピード、フィギュア、ホッケーなどのスケート発達史上の原点となった。河西督之 記
町政施行百周年記念協賛
大正五六年生「喜寿」祝 下駄スケート像建立会つばめ会有志
(芳名12名省略)
辰巳会有志
(芳名31名省略)
下駄スケート保存会
(芳名6名省略)
発起人
(芳名6名省略)平成五年十月二十日