五箇山 民謡 発祥の地
ごかやまみんようはっしょうのち
東海北陸自動車道 五箇山I.C. から国道156号 飛越峡合掌ラインを東に約4km。UNESCO文化遺産として白川郷とともに登録された
民謡の里の手前にあるお小夜塚に手を合わせる。お小夜塚の反対側に合掌造り家屋の店が二軒。前回「もしかして民謡が聴ける店?」と気になった「きちま」はカラオケメインで民謡は滅多に聴けないらしい。 #五箇山民謡
— dance a dance (@dance_a_dance) 2017年9月18日
お小夜節 解説https://t.co/JUUfYmeiOv pic.twitter.com/WEFKMVE9Ni
それにしても、どなたが撰文なのか「
写真
碑文
五箇山民謡発祥の地
この地は、元禄時代、故郷能登七浦での奉公からかどわかされて遊女となった「お小夜」が、加賀藩の武士四名が職を忘れた綱紀の乱れの責をとられた際の連座により流刑の身としてあつけられた場所である。
二十一才の若い身にとって草深い山奥の生活はあまりに寂しく、村人の親切や山の自然・賜物も心の慰めにはならなかったが、七年の月日の中で村人に持ち前の唄・踊り・三味線・太鼓などの芸事を教え、大変親しまれていた。
「お小夜」は、その不運に同情した隣村の「吉間」と恋仲になり子を宿したが、流刑の身でありながら恋に迷う愛の絆の苦悩に絶えかねて、庄川に身を投げたのであった。
今に至るまで唄いつがれてきた五箇山民謡の数々や踊りは、「お小夜」が、生きたこの小原地区が発祥の地であります。そして、「お小夜」は、まさにその恩人であります。