御殿場 登山道 発祥の地
ごてんばどざんどうはっしょうのち
御殿場線 御殿場駅から北に1㎞。御殿場中学校の北側に“西田中八幡宮”がある。神社の境内に、自然石に「富士登山東表口・御殿場登山道発祥の地」と書かれた石碑が建っている。
富士山の登山道はたくさんある。代表的なものとしては、
- 富士宮口(表口)
- 御殿場口(東表口)
- 須走口(東口)
- 吉田口(北口)
- 河口湖口
などがあり、これらの他にも麓から他の登山口の途中までとか、古くから知られていながら廃れてしまった登山口などが存在する。
昔から、富士山の南側(静岡県側)から見た姿を“表富士”、北の山梨県側から見た姿を“裏富士”と表現する習慣があり、これによって登山口も“表口”“東表口”などと呼ばれるが、山梨県側は裏という表現を嫌って吉田口は“北口”と称している。
御殿場口のルートは、旧東海道線が御殿場を通過するルートに決まり、富士登山に最も便利な駅となるため、御殿場から登る登山道を開くこととなったもので、明治16年(1883) に開通。明治22年(1889) に御殿場駅が開業すると多くの登山客が集まり賑わった。
近年は富士スバルライン・富士山スカイラインなどの自動車専用道路が5合目まで通じているため、多くの登山客は5合目から登り、麓から徒歩で登る人は少なくなっている。
写真
碑文
富士登山東表口
御殿場登山道発祥の地
静岡県令許可 明治十六年五月二十四日
富士登山東表口(御殿場口)の由来
明治初期まで富士山の登山口は、富士宮口・吉田口・須走口・須山口などがあったが、御殿場からの登山口はなかった。
明治六年(一八七三)、女性や子供でも気軽に登れる新しい登山道が望まれ、伴野佐吉を中心とする地元有志らによって御殿場-西田中-北久原-仁杉-中畑を通る新しい登山道の開さく運動が始まった。
明治十六年(一八八三)五月、ようやく新しい登山道が完成した。この登山道は富士山の東側で山の表であることから「富士山東表口」と名付け、同年八月十七日、西田中八幡宮境内において県令大迫貞清らを招いて開道式が行われた。
東海道線が開通し御殿場駅が設置されると、登山道は新橋-茱叟沢を通る現在の順路に変更された。
なお、この記念碑は「西田中公民館だより」発刊二百号記念事業として建立したものである。