群馬 酪農業 発祥之地

ぐんまらくのうぎょうはっしょうのち

両毛線 駒形駅から東におよそ2km。前橋総合運動公園の真南、国道17号 上武道路の南400mの地点に“赤城酪農業協同組合連合会”の事務所がある。この敷地内南側に大きな自然石の発祥碑と乳牛の像が、それらの横には副碑が建っている。

群馬県は古くから優良馬産地であったが、牛は農耕用にわずかに飼育されているだけであった。 明治維新後の西洋文化の流入により牛乳の飲用が増加し、国による乳牛飼育の奨励により、明治8年(1875) に赤城牧場が設立され,これを皮切りに その後の8年間に8ヶ所の牧場が開設され、牛乳の普及が急速に進行した。

その後赤城牧場は経営難のため閉鎖され、大正15年(1926) に所有していた乳牛はすべて近隣の農家に譲渡された。牛乳は各村に設立された産業組合を通じて販売され、余剰牛乳は産業組合の連合会が木瀬村(当時)に設立したミルクプラントにおいてバター等に加工された。このため、木瀬村は群馬県における酪農業の発祥の地とされている。

太平洋戦争後群馬県全域を組合員とする“群馬県酪農業協同組合”が結成されたが、酪農振興法に基づく“集約酪農地域指定”に伴って解散し、新たに浅間山麓・赤城山麓・榛名山麓・利根の4地域のそれぞれに酪農業協同組合連合会が設立され、現在に至っている。

なおこの発祥碑は昭和49年(1974) に、群馬県における酪農の発祥100年を記念して、(旧)木瀬村の赤城酪農業協同組合連合会の所在地(かつてミルクプラントが建設された場所)に建立されたが、昭和63年(1988) に国道50号線の拡幅工事に伴い、赤城酪農業協同組合連合会の事務所と共に現在地(前橋市二之宮町)に移された。

写真

  • 赤城酪農業協同組合連合会
  • 群馬酪農業発祥之地
  • 群馬酪農業発祥之地
  • 群馬酪農業発祥之地 碑文
  • 群馬酪農業発祥之地 碑文
  • 群馬酪農業発祥之地 碑文
  • 群馬酪農業発祥之地 碑文
  • 群馬酪農業発祥之地 碑文
  • 群馬酪農業発祥之地 移転の碑
  • 群馬酪農業発祥之地(2018)
  • 群馬酪農業発祥之地(2018)
  • 群馬酪農業発祥之地(2018)

碑文

群馬酪農業発祥之地

昭和四十九年四月  清水圭太郎

群馬の酪農発祥に思う

群馬の酪農が組織的に発足を見たのは 今から丁度五十年前即ち大正十五年十二月 歳の瀬迫る頃 元勢多郡木瀬村字野中を中心とした農家で乳牛四十余頭を導入したことに始まる
 かつての群馬県は馬産地として且又養蚕を以て天下に名をなした時もあったが歳月は流水の如く冷厳にして刻々に流れを変えるに至る 明治維新 文明開化は欧風化し初期より各地に牧場の開設あり 秀峰赤城山頂には有力者の手による赤城牧場が開設されて大正の末期に至る迄続いたが社会情勢の変化に伴い飼養せし乳牛を前記木瀬村産業組合に譲渡した 正にこの時を以って酪農発祥の起点と思了する
 当時の農村の状態は農閑期と称し半ば失業の状態にあった然も経済は不況の鈍底に落ち疲弊困憊に達する
 こゝに人あり 農村の更生は授産にあり 民族の発展は農村の繁栄にある 人力を結集し組織化を計り産業組合運動と共に組合の設立が推進さる 蘊蓄経綸豊かな清水及衛先生ありて 早くも自力更生の道を畜産に指向され農民を失業より解放の為に有畜農業就中乳牛の導入に求め 以って地力の増進 生産力の向上 畜力利用 保健 生乳の生産販売 生活の充実等一石三鳥の理想実現に踏み切った これこそ眞に酪農の真髄であり発祥の起源なることを確認する
 この理念による壮挙は近村に波及し 桂萱村を始めとし富士見村 上陽村等次々に乳牛を導入し その数百三十有余頭に達す 各産組は相提携し獣医を採用指導に当る 又ミルクプラントを建設し新産業を運営す 時に太平洋戦争に突入困難を極めたがよく耐えて終戦に至る 戦後の混乱の火中に在る農村復興の立役者として再び脚光を浴びるに至る 先覚者の選んだ酪農の道は正しかった 今や群馬の酪農は北海道に次ぐ内地に於いて頭数 乳量共第一位となる 後続の吾等は先覚者の教訓を奉じて永遠に酪農発展を祈念し謹んで此の地に碑を建立する

昭和四十九年四月

群馬酪農発祥記念碑建設委員会

群馬の酪農五十年の歩み

大正十五年
元勢多郡木瀬村に乳牛四十余頭計画導入実現により始まる
昭和二年
隣村桂萱村に波及し二十余頭導入
仝 六年
次いで富士見村に及び上陽村に及ぶ 通算百数十頭に達す
前記四ヶ村出資して共同集荷処理場を設置しバターの製造を開始す
仝 九年
群乳連は木瀬村字天川大島にミルクプラントを建設した
仝 十年
群乳連は右プラントの一切を群馬県購販利連牛乳部に引継ぎ解散す
仝 十一年
国民高等学校東京本所の実習販売所を拠点とし東京進出を図った
仝 十三年
長野練乳と牛乳取引が開始され合意により新会社関東製酪の発足と併せて木瀬村字天川大島に工場の建設が開始さる
仝 十四年
酪農調整法が制定され農乳の需給を一元化する為に群馬県酪農統制会が発足した
仝 十五年
保証責任群馬県購販利連の経営するミルクプラントの一切を関東製酪に譲渡さる と同時に関東製酪の業務が開始された
仝二十三年
県下一円を区域とした群馬県酪農業協同組合設立を見る
仝二十四年
榛名酪農業協同組合が前記群馬県酪農業協同組合に合併実現
時に酪農家加入戸数二千三百戸 乳牛飼養頭数二千七百有余頭
組織による指導事業推進始まる
仝二十五年
飼料需給安定法成立
家畜保健衛生所法成立
仝二十八年
有畜農家創設特別措置法成立
仝二十九年
酪農振興法成立
仝三十 年
吾妻郡酪農業協同組合連合会設立
仝三十一年
赤城酪農業協同組合連合会設立
榛名
仝三十二年
利根沼田
仝   年
群馬県酪農業協同組合は酪農振興法施行に伴い前記四酪連が発足するに当り発展的解散を行う
仝三十六年
農業基本法成立
仝四十一年
加工原料乳生産者補給金等暫定措置法成立
仝四十九年
本県酪農の現状
酪農家戸数   4300戸
飼養乳牛頭数 75000頭
生乳生産日量   630屯

撰文  矢内喜藤太

(以下関係者氏名 多数 略)

地図

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