誹風柳多留 発祥の地
はいふうやなぎだるはっしょうのち
北の玄関口として親しまれたJR上野駅のすぐ南西の中央通り、京成上野駅に至る少し手前に、上野公園 西郷隆盛像方面に上る階段があり、その脇に
平成27年(2015) 8月20日除幕。
川柳とは、〈五・七・五〉で社会を風刺したり人情を深くえぐり、俳句によく似ている17音の世界最短クラスの文芸です。俳句と違って、切れ字も季語もなく、「風景を詠む」のではなく「世情を
なお、
【リンク】柳多留250年、全日本川柳協会、川柳人協会、尾藤一泉ブログ
写真
碑文
川柳の原点
誹風柳多留発祥の地五條天神社 宮司 始澤澄江
柳多留250年実行委員会
孝行をしたい時分に親はなし
250年を遡る江戸に登場、一挙に市民の心をとらえた日本独自の短詩形「川柳」は、現在も伝統文芸として盛行を見ているが、その端緒となった呉陵軒可有著、花谷久治郎板『誹風柳多留』は、この地をふるさととして不朽の名をとどめると同時に、海外にまで知られる人気のユーモア人间詩となった。
その事績を永く顕彰、一碑を建立するものである。
後学三柳記
平成27年8月吉日
柳多留250年実行委員会
川柳の原点 誹風柳多留発祥の地
川柳は、江戸時代に江戸で生まれた17音の庶民文芸として今日に伝わっています。川柳の名称は、宝暦7年(1957)に浅草新堀端にはじまりましたが、明和2年(1765)7月、呉陵軒可有という人が、初代川柳評の前句付万句合の勝句(入選句)から17音の付句のみで鑑賞でき、深い笑いのある句を選び、今日〈川柳の原点〉とも呼ばれる『誹風柳多留』を刊行しました。このことにより川柳は、〈17音独立文芸〉として確立され、後に全国へと広がっていきました。
この付近には、『誹風柳多留』の版元・星運堂(花谷久次郎)があり、俳諧書などを刊行するかたわら、3代にわたり、『誹風柳多留』を通じて〈川柳風〉の隆盛に貢献、川柳を「江戸文芸」の一つにまで育てました。「誹風柳多留発祥の地」は「文芸川柳発祥の地」でもあります。
記念碑の「羽のあるいいわけほどはあひる飛ぶ」の句は、「木綿」を号とした『誹風柳多留』の編者・呉陵軒可有の作です。
平成27年8月
柳多留250年実行委員会
台東区教育委員会
The Birthplace Of Haifū Yanagidaru
Senryu (literally "River Willow") is a Japanese poem structurally similar to Haiku, but treating human nature, was founded at Asakusa Simboribata. Haifū Yanagidaru well known as the best collection of satirical and humorous poems selected by Karai Senryu,the founder, was first published by Goryōken Kayū in 1765 with the help of Hanaya Kyūjirō, and since then it has not only gained great popularity througout Japan, but has been handed down as one of the Edo period literature.
Ducks try in vain to fly
As if they had respectable wings.The above is one of the senryu poems composed by Goryōken Kayū.
Augst 2015
The Memorial Committee of Haifu Yanagidaru
Taito-ku Board of Education
平成27年8月吉日
柳多留250実行委員会
協賛 上野のれん会
(略)
ほか実行委員50余名記念碑デザイン 尾藤一泉
原型制作 張山裕史
(有)原田木型製作所
鋳造 池田美術株式会社
台座 菊川工業株式会社