原宿 発祥之地
はらじゅくはっしょうのち
山手線 原宿駅から直線距離にしておよそ800m東。明治通りの“神宮前1丁目”交差点から東に入り、心身障害者福祉センターの前を通って更に東に進むと、日蓮宗 妙圓寺(渋谷区神宮前3丁目8-9)がある。この寺の入口近くに「原宿発祥の地」と刻まれた50cmほどの小型の石碑が建っている。
この周辺は江戸時代から「原宿村」「穏田村」の2つの村があり、明治時代中期まで続いた。明治22年(1889) に市町村制が施行されて2つの村は合併して「千駄ケ谷村」となり、「千駄ケ谷村大字原宿」「千駄ケ谷村大字穏田」と呼ばれるようになった。さらに「千駄ケ谷町」を経て、昭和7年(1932) に東京に区制が施行され「渋谷区」に属することになり「原宿1丁目~3丁目」「穏田1丁目~3丁目」「竹下町」と町名を変更。昭和40年(1965) には新住居表示になって「神宮前」という町名になった。
住居表示の変更をするに際して「原宿」「穏田」の町名をを推薦する声があがったが双方とも譲らず、結局明治神宮の前にあるから「神宮前」という安直な名前に落ち着いたと言われる。この時以来『原宿』という地名は存在しないことになった。
現在「原宿」の名前が残っているのは「原宿駅」「原宿警察署」「原宿郵便局」などだけである。
「原宿発祥の地」の碑を建てた由来を妙円寺の住職から聞いたところ、次のような説明をいただいた。
- 昭和40年の住居表示変更によって原宿の地名が消滅しそれを惜しむ声があり、どこかに残したいということで「発祥の地」の碑を建てた。
- 特に妙円寺で原宿の名前が発祥したということではなく、元「原宿」のどこかということでたまたまこの寺が選ばれた。
- 碑の題字は渋谷区長に書いてもらったが、建てたのはあくまでも町内の有志。
地元の皆様には、この内容を小さくとも併設していただきたく期待したい。
写真
碑文
原宿発祥之地
昭和六十三年五月吉日