原町田 商店街 発祥の地

はらまちだしょうてんがいはっしょうのち

準備中
調査:
2009年2月 (写真提供 T.H.さん)

横浜線・小田急線 町田駅から300m東。町田市図書館の隣にグルメシティ町田店(ダイソー)がある。 その北側の商工会議所前に,土蔵の側面をかたどったようなユニークな形の石碑が建っている。

この地は,直交するJRと小田急の町田駅からいずれも数分の距離にあり,道幅は狭いが賑やかな商店街となっている。元々は 町田街道の旧道で,幕末から明治時代にかけて日本の主要な輸出品目である生糸を, 集散地である八王子から横浜港に運ぶ街道として繁栄した。最近は“絹の道シルクロード”と 呼んで記念しており,この発祥碑の近くにも「絹の道」の碑が建てられている。

1908(明治41)年に横浜鉄道 原町田駅が開通し,さらに1927(昭和2)年に小田急電鉄 新原町田駅が開通すると, 駅前商店街として大きく発展し 現在の賑わいとなった。JR横浜線は1980年(昭和55年)に、小田急線は1976年(昭和51年)にそれぞれ「町田駅」と改称した。

写真


旧URL
http://hamadayori.com/hass-col/commerce/Haramatida.htm

碑文

原町田商店街発祥の地

「二・六の市」の碑

原町田商店街の発祥は,もとは一村であった町田郷から原町田村が独立したのち, 天正一五年(1587)に,それまでの市をわけて,「二の市」が原町田,「七の市」が本町田に開設されたのが始まりといわれて います。本町田の「七の市」は次第に衰え ていきましたが,原町田の“市”は炭・薪・ 蚕糸・畑作物のほか,衣料や農具など多くの物産を取り扱い,文政・天保年間頃(1818~1843)には 「二・六の市」となって,月に六回も開かれるようになりました。 この「二・六の市」こそ,今日の原町田商店街発展の礎を築いたといえるのです。

幕末に横浜が開港すると,原町田は繭や生糸を運ぶ“絹の道”の中継地として,各地から生糸商人が集まり,“市”の規模も大きくなっています。
“市”が開かれた場所は,川田横丁や塩屋横丁あたりから勝楽寺門前までで,道の両側の家の軒先に“マゲ”と呼ばれる長い屋根が張られ,それを区切って市店が並びました。

明治四一年(1908)に横浜線が開通し,交通の便がよくなる と,“市”の日以外にも人びとが集まるようになり,次第に商業の街としての形が整うようになり ました。

大正一四年(1925)には,古着や古道具類を扱う市店が今の仲見世商店街付近に“ボロ市”と して独立し,有名になりましたが,昭和に入ると不況や戦争の影響を受けて,物資不足から出店数も減り,昭和一九年(1944) 六月,360年程続いた“市” も,ついに幕を閉しています。 しかし,原町田は戦後再び商業地としてよみがえり,飛躍的な 成長を遂げて今日に至っている のです。

一九八五年十月
町田市史編さん室編修

地図

地図

町田市原町田3丁目 付近 [ストリートビュー]