早船屋の 発祥の地

はやふねやのはっしょうのち

東武東上線 上福岡駅の東3.5kmほどのびん沼川の土手沿いにある シルバー人材センター作業所(ふじみ野市福岡536-1)北西隅に、早船発祥の地の説明板と古さを感じない小振りの石碑が建つ。

江戸時代の当地は、新河岸川を通り江戸までの水運の拠点となった地である。通常便は往復7~10日ほどかかる不定期の荷物便だったのに対し、往復4~五日で人を運ぶ早船と呼ばれる屋形船も運航された。

その早船が始まったことを説明板で語られており、早船屋を引継いだ𠮷野家が早船屋という屋号を名乗ることとなったことが石碑で残された。石碑は平成21年(2009) に建てられた。

写真

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碑文

早船屋の発祥の地

平成二十一年五月吉日建之
𠮷野勝子

𠮷野栄次郎は、天保二年(一八三一)以降上新河岸から浅草花川戸まで、旅人を屋形船に乗せ、新河岸川を下る「早船」運航を始めた一人です。この「早船」にちなみ同家の屋号が「早船屋」と名付けられました。

早船発祥の地

新河岸川を航行していた船の種類には、不定期の並船なみふね(往復一週間〜十日)、急船きゅうぶね(往復三、四日)、飛切船とびきりぶね(今日下って明日上る特急便)、雁船かりぶね(さつま芋・野菜等、特に秋〜冬の雁が渡来する時期に運航する船)等があり、舟運の最盛期である天保期には上客を主とした早船はやふねと呼ばれる船も登場しました。早船は上客を主として運ぶ屋形船の定期便で、一往復で4日から5日を要し、急を要する軽い荷物も扱っていました。

早船は天保二年(1831)に砂村の船持船頭、善兵衛が始めたものを、下福岡の船持船頭の栄次郎が引き継いだものです。この下福岡の早船屋がある場所は、荷船や渡し船の船着場で、早船屋は宿屋も営業していました。

早船屋(吉野家)に伝えられた339点の古文書の主な内容は、川越と江戸を早船(上客と軽貨物取り扱い)で往復した栄次郎に関するものと、幕末の黒船来航に際して海岸警備を命じられた川越藩から、船による御用貨物運搬を任された吉五郎に関するもので、ふじみ野市指定有形文化財「早船屋文書」として、大切に保管されています。

地図

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ふじみ野市福岡 付近 [ストリートビュー]