隼人舞発祥之碑
はやとまいはっしょうのひ
学研都市線 大住駅から北西に1km。大住小学校と大住中学校の間に 月読神社がある。 神社正面の鳥居脇に「隼人舞発祥之碑」と書かれた 大きな石碑が建っている。
隼人とは, 古代 九州の薩摩・大隅に居住した人々で, 5世紀ごろに朝廷に服属したといわれる。 大隅隼人は 7世紀ごろに 京都南部のこの地に移住させられ, 宮中での守護や 芸能などを行うようになった。ここの地名“大住”は“大隅”に由来し, 言葉や文化も 他とは大きく異なっていたとされる。 畿内では 彼らの演ずる「隼人舞」が有名であった。
ちなみに ここ月読神社は, 隼人によって祭祀された月読神を祀った神社である。
「隼人舞」は 日本書記の「海幸彦山幸彦」物語をもとにした舞で, 日本の伝統芸能のルーツの一つとされる。大住の隼人舞は, 隼人特有の赤・白・黒の渦巻き紋様が描かれた楯や 弓を手にした少年たちが 笛や太鼓に合わせて舞う テンポの速い激しい舞で, 祖先の火照命が海水に溺れ苦しんだ姿を演じるものと言われる。 隼人舞はやがて猿楽となり, さらに能楽へと発展したと言われる。長く途絶えていたが, 1790年代に ここ月読神社で復活された。
写真
碑文
隼人舞発祥之碑
この大住の地は奈良朝以前七世紀ごろから九州の大隅薩摩 日向の三国隼人が移住して月読神社に奉仕したといわれ日本芸能 の主流ともされている
昭和四十七年四月に大住隼人舞保存会を結成した
昭和五十年十二月十九日に田辺町指定文化財(無形)第一号に指定された
御大典を記念し記念碑を建立す平成二年十一月十二日
月読神社総代 一同
大住隼人舞保存会一同
隼人舞伝承地
京田辺市大住, 月読神社
九州南部の大隅隼人が七世紀頃に大住に移住し, 郷 土の隼人舞を天皇即位にともなう大嘗祭のときなどに 朝廷で演じ, また月読神社にも奉納して舞い伝えてき た。隼人舞は岩戸神楽と共に日本民族芸能の二大源流 ともいわれ, 『古事記』や『日本書紀』の海幸彦山幸 彦の神話に起源するといわれている。文学博士志賀剛 氏(1897~1990)は能楽五座のうち外山座が 月読神社の外山神楽座であるという。
更に, 隼人舞継承者牧山望氏(1900~1991) によって隼人舞が復元され毎年十月十四日の秋期例 祭宵宮に奉納されている。現在では地元に人々を中心 に大住隼人舞保存会が結成され大住隼人舞, 隼人踊り が継承されている。大住隼人舞は, 昭和五十年(1975) 十二月十九日に田辺町(現在は京田辺市)指定 文化財第一号に指定された。京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会