平氏 発祥 伝説地
へいしはっしょうでんせつち
近鉄 名古屋線 津新町駅から西に5km、伊勢自動車道 E23 津I.C. から南西に3.2km、忠盛塚(津市産品1437-1)前に石標と説明看板が設置されている。
平安時代後期の武将である平正盛(清盛の祖父)あるいはその子である平忠盛が、この地で武士団の基盤を築き、勢力を拡大したという伝承に基づく。彼らがこの伊勢の地を拠点としたことが、後の平氏隆盛の出発点と見なされ、忠盛塚がその象徴として語り継がれているのである。具体的な史料で確定されるものではないが、地域に根ざした「伝説」として重要視されている。
【平氏発祥伝説地】三重県津市に所在。三重県指定史跡。武士として最初の内昇殿を許された平忠盛(1096-1153,清盛の父)が産まれた場所とされ、平忠盛の胞衣塚や産湯に使ったという産湯池がある。#津市 #史跡 #伊勢平氏 #歴史 pic.twitter.com/f1Am8FqKWh
— 古代史つれづれ話 (@azumanndonannto) April 26, 2025
- 観光三重(三重県観光連盟)
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写真
碑文
史蹟 平氏發祥傳說地
三重県指定史跡
平氏発祥伝説地 一般に「
忠盛塚 」と呼ばれるこの地は、正式には「平氏発祥伝説地」といいます。この塚は、平忠盛が産まれたときの胞衣 を埋めた「胞衣塚」ともいわれ、忠盛が産湯を使ったとされる産湯池も残っています。
桓武天皇の曾孫 高望王 を祖とする平氏は、初め東国に土着し勢力を張っていました。しかし、平将門 の乱や平忠常 の乱以後、東国は源氏の地盤となり、貞盛 の子維衡 の時に伊勢・伊賀を本拠地とするようになり、寛弘3年(1006) 維衡は伊勢守に任じられています。
「平家物語」には、眇 め田舎武士の昇進をねたんだ公卿󠄁が「伊勢 瓶子 は素甕 なり」とはやし、あざけったとあります。維衡の曾孫正盛は白河法王の信任を得て中央政界に進出し、その子忠盛は正四位 下但馬守 に進み、武士として最初の昇殿を許され、平氏繁栄の基礎をつくりました。
ところで、伊勢平氏とは維衡系のことで、「尊卑 分脈 」には維衡の孫貞衡とその子貞清は安濃津三郎、貞清の子清綱は桑名冨津二郎と傍注され、北勢から中勢にかけて勢力伸長がうかがわれます。貞衡の弟正衡 の流れの正盛・忠盛は、伊勢平氏の中では傍系にあたりますが、忠盛の昇殿、清盛の活躍により、伊勢平氏=忠盛と理解されるようになったと考えられます。そして、貞衡系の伊勢平氏は、いつしか忠盛・清盛の郎従 となり、歴史の表舞台から姿を消してしまいました。津市教育委員会