平氏 発祥 伝説地

へいしはっしょうでんせつち

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近鉄 名古屋線 津新町駅から西に5km、伊勢自動車道 E23 津I.C. から南西に3.2km、忠盛塚(津市産品1437-1)前に石標と説明看板が設置されている。

平安時代後期の武将である平正盛(清盛の祖父)あるいはその子である平忠盛が、この地で武士団の基盤を築き、勢力を拡大したという伝承に基づく。彼らがこの伊勢の地を拠点としたことが、後の平氏隆盛の出発点と見なされ、忠盛塚がその象徴として語り継がれているのである。具体的な史料で確定されるものではないが、地域に根ざした「伝説」として重要視されている。

  • 観光三重(三重県観光連盟)
    https://www.kankomie.or.jp/spot/8900
  • 津の時間(津市観光協会)
    https://tsukanko.jp/spot/s731/

写真


碑文

史蹟 平氏發祥傳說地

三重県指定史跡

平氏発祥伝説地へいしはっしょうでんせつち

一般に「忠盛塚ただもりつか」と呼ばれるこの地は、正式には「平氏発祥伝説地」といいます。この塚は、平忠盛が産まれたときの胞衣えなを埋めた「胞衣塚」ともいわれ、忠盛が産湯を使ったとされる産湯池も残っています。
桓武天皇の曾孫そうそん高望王たかもちおうを祖とする平氏は、初め東国に土着し勢力を張っていました。しかし、平将門まさかどの乱や平忠常ただつねの乱以後、東国は源氏の地盤となり、貞盛さだもりの子維衡これひらの時に伊勢・伊賀を本拠地とするようになり、寛弘3年(1006) 維衡は伊勢守に任じられています。
「平家物語」には、すがめ田舎武士の昇進をねたんだ公卿󠄁が「伊勢いせ瓶子へいし素甕すがめなり」とはやし、あざけったとあります。維衡の曾孫正盛は白河法王の信任を得て中央政界に進出し、その子忠盛は正四位しょうしい下但馬守げたじまのかみに進み、武士として最初の昇殿を許され、平氏繁栄の基礎をつくりました。
ところで、伊勢平氏とは維衡系のことで、「尊卑そんぴ分脈ぶんみゃく」には維衡の孫貞衡とその子貞清は安濃津三郎、貞清の子清綱は桑名冨津二郎と傍注され、北勢から中勢にかけて勢力伸長がうかがわれます。貞衡の弟正衡まさひらの流れの正盛・忠盛は、伊勢平氏の中では傍系にあたりますが、忠盛の昇殿、清盛の活躍により、伊勢平氏=忠盛と理解されるようになったと考えられます。そして、貞衡系の伊勢平氏は、いつしか忠盛・清盛の郎従ろうじゅうとなり、歴史の表舞台から姿を消してしまいました。

津市教育委員会

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