東山温泉 発祥の源泉

ひがしやまおんせんはっしょうのげんせん

只見線 七日町駅から南東に5km。東山温泉中心部の“くつろぎ宿・新滝別館(不動滝)”前の橋のたもとに「東山温泉発祥の源泉・「土方歳三」戦傷湯治の岩風呂」と書かれた立て札が立っている。ここから矢印に沿って進むと,旅館の壁画に描かれた土方歳三の肖像の先に,「東山温泉発祥の由来」と書かれた説明板が掲げられている。

東山温泉は,山形県の上山“温泉・湯野浜温泉とともに かつて“奥羽三楽郷”と呼ばれた歴史ある温泉で,約20の旅館・ホテルがある。奈良時代(1300年前)に僧・行基が発見したと言われ,その源泉からは今も温泉が噴出しているという。くつろぎ宿・新滝別館(不動滝)”には“東山温泉発祥の源泉跡”とされる岩風呂のような(水たまりのような)場所が保存されている。

東山温泉は 江戸時代には会津藩の湯治場として栄え,竹久夢二や与謝野晶子もこの地を訪れ作品を残している。また 新選組副長の土方歳三が宇都宮の戦いで負傷した傷の治療のため この地に3ヶ月間逗留をしたとされる。さらに 会津の民謡「会津磐梯山」に登場する“小原庄助さん”はここ東山温泉で“身上しんしょうを潰した”という言い伝えもある。

写真

  • 源泉跡
  • 東山温泉発祥の源泉への案内立札
  • 東山温泉発祥の源泉

碑文

東山温泉発祥の源泉

「土方歳三」
戦傷湯治の岩風呂

東山温泉発祥の由来

この源泉は,今から約千三百年前遊行僧行基上人(奈良時代天平年間・西暦七百二十九年)が会津地方巡錫の折,川岸に白い湯煙をあげて噴出する霊泉を発見開湯されたもので,野猿が群れて入浴していたことから「猿湯」と呼ばれておりました。浴槽は天然の岩の窪み,岩底の割れ目から千年以上もの間絶えることなく温泉が自噴しております。
 当温泉は天正年間(西暦千五百八十四年)頃は現存する萬松山天寧寺の寺領だったこともあり「天寧寺の湯」(天仁寺の湯)とも云われておりました。「猿湯」は創傷,火傷に浴効あり戊辰戦争(慶応四年西暦千八百六十八年)時は,新選組副長土方歳三が宇都宮城の西軍との攻防戦で受けた右足の銃創をこの「猿湯」で癒したと伝えられております。

地図

地図

会津若松市東山町大字湯本 付近 [ストリートビュー]