法文学部 発祥之地(九州大学)
ほうぶんがくぶはっしょうのち
鹿児島本線 箱崎駅から北西に400m。九州大学(東区箱崎6丁目10-1)の正門を入ってすぐ左(南)に自然石の記念碑が建つ。
九州帝国大学が開設されたのは 明治44年のこと。この時に附属機関として 九州帝国大学医科大学・工科大学ができた。学部制が採られたのは 大正8年で, 医学部・工学部・農学部ができ,その後 大正13年(1924) に法文学部, 大正14年(1925) に理学部が開かれた。
法文学部は 戦後昭和24年になって, 文学部・教育学部・法学部・経済学部に分離され, ほぼ現在の組織に近い形になった。
この碑は, 法文学部創設60周年を記念して建てられたものだが, 九州大学の創立とは無関係に 法文学部だけの記念碑になっており, いかにも大学内の統一性のなさを見るようで部外者としては興味深い。
当記事は平成17年(2005) のもので、九州大学箱崎キャンパスは伊都キャンパスへ(福岡市西区元岡744)と移転し、正門近くの本部庁舎等が残るのみである。当地にあった建物が後に取り壊され、碑の現状がどうなっているか不詳。跡地再利用についていろいろ検討されている。
写真
碑文
法文学部 発祥之地
九州大学法文学部は, 一九二四年九月二十五日, 美濃部達吉を創立委員長としてこの地に創設された。学び舎は本館と心理学教室とからなり, その白堊の殿堂 からは多くの俊秀が輩出した。その後, 一九四九年, 学制改革に際して, 文学, 教育, 法学, 経済, の各学部が独立し, 一九六二年, 貝塚キャンパスに移転するに至った。今日までに巣立った同窓生の総数は, 二万七千有余名を数える。
ここに創立六十周年を記念するとともに, 「西南学派」といわれた, 自由, 闊達にして清新な学風が, 絶えることなく受け継がれてきたことに思いを新たにす るものである。一九八六年十月
九州大学 法学部 経済学部
創立六十周年記念事業後援会