北海道 警察 発祥の地
ほうっかいどうけいさつはっしょうのち
函館市電の大町停留所から 南に200m。函館元町ホテルの向い側,旧・弥生小学校の前に 高さ2mほどの木碑が建っている。
明治維新後 警察制度整備の必要性にせまられた新政府は,明治4年(1871) に
北海道では,明治5年(1872) 6月に 函館のこの地に“邏卒本営”が置かれたのが最初で, 同年の9月には 札幌にも邏卒が置かれた。邏卒本営は 4年後の明治10年(1877) に“函館警察署”となり,道内各地にも次第に警察署が整備されていった。
なお この碑とは別に,函館市内豊川町には「北海道警察官派出所発祥の地」 の碑が建っている。
このあたりは“旧寺町”と呼ばれ,旧・弥生小学校の前には 次のような説明板が設置されている。
旧寺町界隈
江戸時代から明治初期まで,このあたりは浄玄寺(現真宗大谷派函館別院),称名寺,実行寺が建ち並び,参拝客で賑わったので寺町と呼ばれた。開港後の一時期,これらの寺はアメリカ,イギリス,ロシア領事の仮住居として使用された。また,浄玄寺は,明治5(1872)年に邏卒本営(警察)が置かれたり, 同9年天皇巡幸の際には行在所として用いられたこともあった。
明治12年大火はこの一帯を焼き尽くし,これらの寺は新たな場所に再建された。浄玄寺と称名寺の跡地には, 同15年に弥生小学校が建てられた。石川啄木が,代用教員となったり,文芸評論家の亀井勝一郎が通った学校である。 現在の校舎は昭和13年に新築された。函館市
余談だが,この弥生小学校は 学童数の減少のため近くの西小学校と統合され,平成21年(2009) 4月から 新 弥生小学校となって 旧 西小学校の校舎に移転した。 この旧 弥生小学校の校舎は解体されて 同じ場所に新 弥生小学校の校舎が建設される計画になっているようだが, 歴史的に価値があるこの建物の保存運動も起こされている。この地を訪れた 2009年4月下旬には 既に建物は空き家となっていて,教室の窓には なつかしい校舎との別れを 惜しむ子供たちからのメッセージが書かれていた。
写真
碑文
北海道警察発祥の地
- 明治五年六月
- 浄玄寺(東本願寺函館別院の古号)に開拓使函館支庁邏卒本営を置く
- 明治八年十月
- 邏卒屯所と改称
- 明治九年二月
- 開拓使函館支庁警察係と改称
- 明治十年三月
- 函館警察署と改称