兵庫県に於ける 素麺 発祥の地
そうめんはっしょうのち
阪神電車
兵庫県を代表するそうめんとしては、揖保乃糸を始めとする播州そうめんが有名だが、中国から伝わったそうめんが三輪から当地を経て播州方面に広まったと考えられている。
江戸後期、東灘の魚崎周辺で素麺づくりが始まり、「
明治19年(1886) には「摂州灘素麺営業組合」が組織され、魚崎町に事務所を置いた。明治30年(1897)頃には年間生産量が380tに達し、カリフォルニア、パリ、セントルイスの万博で優秀賞を受賞するなど国際的な評価を得た。これにより東灘は奈良の三輪と並ぶ素麺の産地として知られるに至った。
その後昭和初期には生産が衰退し、西播磨地域へ移り、今日広く知られる「揖保乃糸」へとつながった。
写真
碑文
兵庫県に於ける
素麺発祥の地魚屋道の出発地点
青木魚市場の地
灘目素麺発祥の地
六甲の急流と山中で産出する良質な花崗岩(御影石)が石臼に好都合だったことも幸いし、発達した水車業が低コストで大量に小麦粉の生産ができました。これを原料に、素麺業は幕末期には六甲山の南麓一帯を一大生産地に発展させ、酒造業と並んでこの地方の主要産業の1つになっていました。
青木では天保年間(1830〜1843)木村重左衛門の手で三輪の手法を取り入れた製造が始められました。
日本国産考(天保15年)によると、灘地方が三輪と並ぶ一大生産地として江戸市場へ灘目麺、或は 上方素麺の商標で大量に回送されたと伝えています。明治30年頃の生産量は380トンに達し、カリフォルニア、パリ、セントルイス万博にも出展され、それぞれ優秀賞を受賞しています。
また明治41年の阪神沿線ガイドには木村梅太郎の素麺広告がみられる。しかし、この地域に出稼ぎの職人が帰郷し、龍野地方に根づかせた素麺生産が拡大してくると、昭和の始めこの地区の素麺業はすべて西播地域に引き継がれました。
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