日本の アイスクリームの 誕生
にっぽんのあいすくりーむのたんじょう
根岸線 関内駅から北東に200m。馬車道をJRの線路際から北東に進むと、左側に総合生協ビル(北の家族)があり、馬車道を挟んでその向い側のアートビル前の歩道に、裸の女性が幼児を抱いた「母子像」という彫刻(モニュメント)が置かれている。これが「アイスクリーム誕生」碑である。
碑文にもあるように、この場所は明治初年に初めてアイスクリームを販売した所だが、彫刻のテーマ「母子像」とどういう関係があるのだろうか。わざわざ碑文まで読む人は少ないから、母子像の彫刻を見てこれがアイスクリームの誕生を記念する碑だとは思わないだろう。
また、正確に言うならば「日本人による最初のアイスクリーム販売地」である。日本での最初のアイスクリーム製造は、アメリカ人のリチャード・リズレーが慶応元年(1865) に横浜の外国人居留地にて製造販売したとされる。
なお、碑文にある「横浜沿革史」の関連部分の文章は次のようになっている。
明治二年、馬車道通常磐五丁目ニ於テ、町田房蔵ナルモノ氷水店ヲ開業ス。当時ハ外国人稀ニ立寄、氷又ハアイスクリームヲ飲用ス。本邦人ハ之ヲ縦覧スルノミ。店主為ニ当初ノ目的ヲ失シ大イニ損耗ス。尚翌三年四月、伊勢山皇太宮祭ニ際シ、再ヒ開業セシニ頗ル繁盛ヲ極メ、因テ前年ノ失敗ヲ恢復セリト。爾来陸続客アリテ、恰モ専売権ヲ得タル如ク繁盛ヲ極メタリ。之ヲ氷水店ノ嚆矢トス。
写真
碑文
太陽の母子
制作者 本郷 新横浜沿革史に「明治二年六月馬車道通常盤町五丁目ニ於テ町田房造ナルモノ氷水店ヲ開業ス・・・・」と誌されています 日本のアイスクリームの誕生です私達はこれを記念し このゆかりの地にモニュメントを建て寄贈いたします
昭和五十一年十一月三日
社団 日本アイスクリーム協会
法人 同 神奈川支部