鋳物師町 発祥之跡
いもじちょうはっしょうのあと
山陰本線 豊岡駅からバスで南東に約30分(江原駅からバスで東に約30分)ほどの場所にある、
詳細文献は見当たらず、碑文の内容から推察するのみ。もしくは、建立者やそのご親戚にお話を伺うことができるかもしれない。
碑文を見る限り、「五分一」さんのお名前がいつのまにか「五歩一」さんと表記が変わっている。戸籍の書き換えが手書きで何度も転記されたことから、いつの時代かの役人が書き間違えたまま通っているような感じか? 残念ながら第十四世のお名前がよく見えませんが、どちら様かご覧になってきた方がおられましたらぜひ教えてください。
豊岡近隣には城崎〜竹野を結ぶ「
なお、
写真
碑文
鑄物師町發祥之跡
慶長年間越前國五分一村の鋳物師平右衛門京都
方廣寺国家安康の鐘銘事件ののちこの地に来た
り業を始む江戸時代より昭和初年まで同業六軒
に及び梵鐘鍋釜農具を制作しその業榮えたるに
より明治四年までの町名となれり
明治年間の鋳物師
五分一小 平 坪 井七郎右衛門 由利長七
五分一九郎右衛門 五分一市郎右衛門 太田垣藤七
東京國立博物館由緒鋳物人名録より
昭和五十七年五月建立
小 平 第十四世五歩一○○郎
弟 五歩一敬治
市郎右衛門 第五世 五歩一作治