鋳物師町 発祥之跡

いもじちょうはっしょうのあと

山陰本線 豊岡駅からバスで南東に約30分(江原駅からバスで東に約30分)ほどの場所にある、出石《JR山陰いずしそばで有名な出石町。町中、西方寺さいほうじの西隣の角の、元はお蕎麦屋さんだったような風貌をした家の前に、高さ1m程の石碑が建っており「鑄物師町發祥之跡」と刻まれている。

詳細文献は見当たらず、碑文の内容から推察するのみ。もしくは、建立者やそのご親戚にお話を伺うことができるかもしれない。

碑文を見る限り、「五分一」さんのお名前がいつのまにか「五歩一」さんと表記が変わっている。戸籍の書き換えが手書きで何度も転記されたことから、いつの時代かの役人が書き間違えたまま通っているような感じか? 残念ながら第十四世のお名前がよく見えませんが、どちら様かご覧になってきた方がおられましたらぜひ教えてください。

豊岡近隣には城崎〜竹野を結ぶ「鋳物師いもじもどし垰」とか、隣の養父やぶには「鉄屋米地かなやめいじ」とか、豊岡地域には何かと鋳物関係の地名が出てきます。これらがどういう関係性を持つかは不明。

なお、出石町いずしちょうは、豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、但東町と平成17年(2005) 4月に合併して豊岡市が誕生して、自治体としては存在していないが、豊岡市の町名の一部として「豊岡市出石町○○」という地名になって、出石の名をとどめている。碑がある場所は 出石町宵田。

写真

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碑文

鑄物師町發祥之跡

慶長年間越前國五分一村の鋳物師平右衛門京都
方廣寺国家安康の鐘銘事件ののちこの地に来た
り業を始む江戸時代より昭和初年まで同業六軒
に及び梵鐘鍋釜農具を制作しその業榮えたるに
より明治四年までの町名となれり

明治年間の鋳物師
五分一小   平  坪 井七郎右衛門 由利長七
五分一九郎右衛門  五分一市郎右衛門 太田垣藤七
東京國立博物館由緒鋳物人名録より

昭和五十七年五月建立

小   平 第十四世五歩一○○郎
      弟   五歩一敬治
市郎右衛門 第五世 五歩一作治

地図

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出石町宵田 付近 [ストリートビュー]