海軍 落下傘部隊 発祥之地
かいがいらっかさんぶたいはっしょうのち
内房線 館山駅から 南西に1.2km。海上自衛隊館山航空基地構内の南東隅近くに, 高さ2mぐらいの金属製のモニュメントが建っている。
モニュメントは 予想外に小形で,パラシュートをかたどった上部の傘の部分は もっと大きくないとパラシュートらしくない。 失礼ながら,全体として ドラム缶にコウモリ傘を乗っけたような 奇妙な印象を与えるデザインである。
第二次世界大戦の初期において ナチスドイツ軍空挺部隊の活躍を知った日本海軍は 落下傘部隊の創設を決め,1940(昭和15)年に 横須賀海軍航空隊おいて空挺部隊の基礎研究を開始。 安全な降下法の目途をつけた後,降下技能者1500名の2か月以内の養成が発令され、館山砲術学校に移動して降下訓練が行われた。
太平洋戦争の開戦後,日本軍のオランダ領東インドへの侵攻に伴い, 敵の飛行場を急速に占領し 侵攻作戦の拠点を確保する目的で, メナドへの降下作戦を実施して成功,次いでクーパン飛行場への降下作戦を実施したが これはあまり成果が得られなかった。落下傘による奇襲はその性格上 犠牲が大きく,1500人の部隊のうち 生還者はわずか 200名にすぎなかったとされる。その後海軍空挺部隊が作戦を行う機会はなかった。
なお,陸軍においてもほぼ同時期に空挺部隊が編成され,オランダ領東インドのパレンバン降下作戦. フィリピンのレイテ島作戦などに派遣された。
写真
碑文
海軍落下傘部隊発祥之地
碑の説明
海軍落下傘部隊はこの地,館山航空隊に於いて幾多の犠牲を顧みず激しい訓練を重ね,昭和十六年十一月下旬当地を移動,大東亜戦争に参加。
横須賀鎮守府第一特別陸戦隊は,昭和十七年一月十一日セレバス島のメナード。
横須賀鎮守府第三特別陸戦隊は,昭和十七年二月二十日チモール島のクーバンの各攻略戦に参加,奇襲降下に成功して多大な戦果を上げ,その武勲顕著なるを以て,時の連合艦隊司令長官山本五十六大将より感状を授与された。その蔭には多くの戦友が犠牲となった。
ここに当時を偲び,思い出の地を落下傘部隊発祥の地として,永く後世に伝えると共に再び戦争を繰り返すことのないよう永遠の平和を願い,落下傘部隊生存者,ご遺族並びに有志の方々の,ご協力により記念碑を建立した。落下傘会員の誌
平成五年十一月吉日