核兵器 禁止運動 発生の地

かくへいききんしうんどうはっせいのち

横浜線 橋本駅から西に600m。“西橋本みたけ保育園”の北側に“平和公園”と書かれた小公園がある。公園入口から見て正面,一番奥の塀際に「核兵器禁止運動発生の地」と書かれた白い碑と,そのとなりに「平和祈念之碑」という石碑が建っている。

この公園は,以前“ひかり幼児園”という私立幼稚園があった跡地である。

戦後間もない昭和23年(1948),伊倉二郎氏は 近くの野原に近所の子どもたちを集めて青空日曜学校を開いた。後に自宅の一室を開放した幼児学級に発展。さらに 私財を投じて園舎を建設して,私立ひかり幼稚園を開設した。

伊倉氏は,自らの戦災体験から“平和の尊さと命の大切さ”を求めてクリスチャンとなり,昭和24年(1949) に日曜学校で“核兵器禁止・原水爆禁止・平和記念集会”を開いた。日本における原水爆禁止運動は,昭和29年(1954) の第五福竜丸事件がきっかけで始まったとされているが,まだ米軍占領下にあって言論活動の不自由な時代に始まったこのささやかな運動は,日本における反核運動のさきがけとなった。

ひかり幼稚園は平成22年(2010) まで続いたが,伊倉園長が病気で倒れ,園舎が老朽化した事などのため閉園となり,跡地は市に寄贈されて“平和公園”となり,平和運動に携わってきた伊倉氏の足跡を記念する「発生の地」碑を建立した。

写真

  • 核兵器禁止運動発生の地
  • 平和祈念の碑
  • 平和祈念の碑 (2019)
  • 核兵器禁止運動発生の地 (2019)
  • 核兵器禁止運動発生の地 (2019)

碑文

核兵器禁止運動発生の地

 1945(昭和20)年8月6日広島に,8月9日に長崎に原子爆弾が投下された。この爆弾はエネルギー効率を高めるために地上約500メートルの空中で爆発させ,その熱風と爆風は,核兵器であることを知らなかった多くの市民と住む場所を焼け尽くし,すべてを廃墟と化した。多くの生命を奪った原子爆弾投下という過ちを二度と繰り返さないよう核兵器禁止運動がこの地で発生し,これを永遠に語り継ぐとともに恒久の平和を祈念する。

平和祈念之碑
碑文

一九四一年十二月八日大日本帝國は、大東亜共栄圏をめざして大戦を開始した。途中同盟国ドイツ、イタリアが欧州で戦いを始めて世界大戦となった。
開戦四年と八ヶ月後、広島 長崎に人類初の原子爆弾が投下され、二発で二十数万人が犠牲になった。六日後の一九四五年八月十五日、戦争は終る。
一九四八年八月六日、橋本青空日曜学校は犠牲者をいたみ、「原爆禁止平和祈念集会」を開いたことを記念してこれを建立す。

二〇〇二年八月 伊倉二郎

地図

地図

相模原市緑区西橋本2丁目 付近 [ストリートビュー]