蒲刈蜜柑 発祥の地
かまがりみかんはっしょうのち
呉市の東、本州からわりと近い瀬戸内の離島 上
安芸郡蒲刈町は、平成17年(2005) に呉市に編入された。
写真
碑文
蒲刈蜜柑発祥の地
蒲刈蜜柑の歴史は古く、室町時代に信州(長野県)より移住してきた木村道禎(向浦の福島屋二代目の子、俗名木村多郎兵衛)が、天文六年(一五三五)に讃洲(香川県)より苗木を求めてきて、蒲刈島の串山(向垣内)と、刈浜にあった清光山光明寺の境内に栽植した。これが芸州(広島県)における蜜柑栽培の最初である。そののち、永禄年間(一五五八~六九)に下蒲刈島に増殖され、寛文二年(一六六二)に田戸 宮盛 大浦に移植された(「広島蜜柑」より)。
当時の蒲刈蜜柑とは小蜜柑のことで、はかり蜜柑ともいわれ、枡で量って売買していた。販路は 下は博多、上は姫路のあたりまで、山陰では中国山地を越えて蒲刈蜜柑がやってこなければ正月が来ないと言われていた。
であい岬公園整備にあたり、ここに蒲刈蜜柑発祥の碑を建之する。平成十七年三月建之
蒲刈町長 柴崎龍雄