鐘淵紡績 発祥の地
かねがふちぼうせきはっしょうのち
東武伊勢崎線 堀切駅から 南に約500m、 墨堤通りが 旧綾瀬川を渡る綾瀬橋の南東側に カネボウ物流(墨田区墨田5丁目17-4)の建物がある。この場所はカネボウの登記上の本店にもなっている。
墨堤通りに面した入口(閉鎖中)からさらに南東に行った敷地の隅に、歩道から見える向きに教育委員会が設置した案内板がある。
なお、敷地内には石碑があったが、その後に移設され、裏側となる東の隣接地に石碑がある。
カネボウ物流は、後にKCロジスティクスとなった。
詳細→ 鐘淵紡績株式会社発祥の地
写真
碑文
鐘淵紡績 発祥の地所在 墨田区墨田五丁目一九番ほか
明治一九年(一八八六)に
綿問屋 の三越, 大丸, 白木屋, 荒尾, 奥田の五軒が集り, 三越得右衛門を頭取として 東京綿商店が設立され ました。翌年, 資本金を十倍に増加させ, 隅田川河畔 鐘ヶ淵の 宏大な土地に紡績工場を建設して, 明治二二年(一八八九)に操業を 開始, 名称も有限責任鐘淵紡績会社と変更しました。これが, 現在のカネボウ株式会社です。
鐘淵紡績は, 設立当初こそ経営難に見舞われたものの, 他社を 吸収合併する中に, 日清戦争を機に大発展を遂げ, 世界有数の紡績会社となりました。平成一三年三月
墨田区教育委員会