甘露寺 開創之地
かんろじかいそうのち
御殿場線 足柄駅から北西に400m。北郷中学校の北脇から裾野バイパスに向かう細い道路脇に「甘露寺開創之地」と刻まれた石碑が建っている。
甘露寺は法雨山と号する曹洞宗の寺で、楠木正成ゆかりの菊水の紋を寺紋とする。寺伝によると、開基は正巌徳勝和尚(=楠木正成の孫・楠木正勝)と伝えられる。正勝は南北朝時代に南朝方の武将として戦った後、仏門に帰依し正巌徳勝和尚となった。嘉慶元年(1387) にこの地 ツウジハナに真言宗の甘露寺を建立し、箱根・竹ノ下の戦いの霊を弔ったとされる。
箱根・竹ノ下の戦い
南北朝時代1335(建武2)年に足利尊氏勢と新田義貞勢の間で行われた合戦。後醍醐天皇が建武政権に反旗を翻した足利尊氏を討つために新田義貞を派遣したが失敗し、建武政権は崩壊した。現在の静岡県小山町竹之下周辺(=足柄駅付近)で行なわれた。(wikipediaより)
寺は一時衰微したが、元和3年(1617) に菅沼の現在地に再興され、曹洞宗に改められた。
余談だが、甘露寺開基とされる楠木正勝の経歴については諸説あり、別伝によると、曹洞宗の著名な僧・傑堂能勝は正勝であるとも伝わる。傑堂能勝は越後国に耕雲寺を興し、その寺紋は甘露寺と同じ“菊水”である。
【リンク】法雨山甘露寺
写真
碑文
甘露寺開創之地
建武二年の竹之下合戦戦没者供養の為、嘉慶元年、正巌徳勝和尚、俗名楠木正勝公によりこのツウジハナの地に甘露寺を開創建立、又、元和三年鉄心御洲禅師により、菅沼坂下の現在地に移転再興すと伝う。茲に、用澤区の山崎英一氏より土地の寄進を得、記念碑を建立し、後世に伝うもの也。平成三年四月吉日
法雨山甘露寺 廿一世 仙峰愛正代
甘露寺
甘露寺護持会 建立