河童徳利 発祥の地
かっぱどっくりはっしょうのち
相模線 香川駅の南西500m、県道 相模原藤沢線が小出川(旧名・間門川)を渡る“大曲橋”の東西両側に簡単な木製の看板が立てられている。「かっぱどっくり発祥の地」これは「河童徳利」そのものの発祥ではなく、「“河童徳利”という伝説(民話)」の発祥の意味のらしい。
この“大曲橋”は寒川町の東端、茅ヶ崎市との境界にあり、かつては“間門橋”と呼ばれ、周辺には以下のような「カッパ徳利伝説」が残されている。この伝説の時代は、鎌倉時代のこととも、また江戸時代のこととも言われる。
河童徳利 (かっぱどっくり)
昔西久保村に五郎兵衛という働き者が住んでいた。
ある日五郎兵衛は、間門川で馬のアオを洗っているとカッパが現れ、馬の尻尾にしがみつき水の中に引きずり込もうとしていた。驚いた五郎兵衛はカッパをとらえ、家の前の木に縛りつけた。すると河童は悲しげな声で泣き助けを求めたので、かわいそうになった五郎兵衛は縄をといて助けてやった。
その夜五郎兵衛の家にカッパが現れ命を助けてもらったお礼にと徳利をさしだした。「この徳利はいくらでもお酒がでます。でも徳利の底を3回たたくと出なくなります。」
くめどもくめども酒が出る不思議な徳利の魅力に負けた五郎兵衛は、朝から晩まで酒びたりになり、すっかり怠け者になってしまった。
ある日愛するアオが餌を与えるのを忘れられやせ細ってしまったのを見て大いに反省し、これでは駄目だと徳利の底を3回たたいた。
一滴の酒も出なくなり、五郎兵衛はまた働き者になったとか。
ところで、この話には後日談がある。
話の主人公の五郎兵衛は江戸時代(宝暦)に生まれ文政7年に死んだ。今もその墓が茅ヶ崎市西久保に残っているという。
「河童徳利」は高さ
関東大震災後行方不明になっていたが、その後五郎兵衛の遠縁の家に戻ってきて、現在も静岡県に住む五郎兵衛の子孫の元に伝わっているといわれる。
どこまでが伝説でどこからが現実なのか判然としないが、興味深い。
道路・橋梁改修により、従前の道標は撤去され、標識の支柱に立て看板がくくりつけられているだけとなった。
写真
碑文
間門川 伝説
河童徳利 発祥の地かっぱどっくり保存会