刈干切唄 発祥の地
かりぼしきりうたはっしょうのち
高千穂町役場から西北西に約3km。県道203号で標高513mの国見ヶ丘まで上る。雲海で有名な国見ヶ丘の展望台から,さらに少し上った丘の上に三神の石像と 「刈干切唄発祥の地」の碑が建っている。
刈干切唄は「稗つき節」と並んで宮崎県を代表する民謡で,高千穂地方を中心に唄われる仕事唄。冬の間に牛馬の餌にするため,秋になると背の丈ほどに密生するカヤなどの山の草を大鎌で刈り取り天日で乾燥させ保存する農作業をいう。
国見ヶ丘からは,西に阿蘇の外輪山,北に祖母の連峰,東に天香具山・高天原や高千穂の盆地,そして眼下には五ヶ瀬川の渓流を一目で見渡すことができ,眺望がすばらしい。神話によると,国見ヶ丘は 神武天皇の孫にあたる
写真
碑文
高千穂 刈干切唄発祥の地
刈干切唄
ここの山の刈干しゃすんだよ
明日はたんぼで稲刈ろかよ
もはや日暮れじゃ追々かげるよ
駒よいぬるぞ馬草負えよ
秋もすんだよ田の畔道をよ
あれも嫁じゃろ灯が五つよ
唄でやらかせこれ位の仕事よ
仕事苦にすりゃ日が永いよ
高い山々どの山見てもよ
霧のかゝらぬこの山はないよ刈干切り
神話のふる里高千穂には古くから唄い伝わる民謡「刈干切唄」がある刈干切りとは、冬の間牛馬の餌にするため初秋から晩秋にかけて背の丈ほどの山々の草を大鎌で切り束にして積み上げ保存する農作業のことである。「刈干切唄」はこの作業のときに唄われてきた農家の人々の労働歌である昔の厳しい生活の中から生れた哀調のメロデーは高千穂ならではの素朴さがある。
高千穂町