毛馬内氏 発祥の地
けまないしはっしょうのち
花輪線(十和田八幡平四季彩ライン)十和田南駅から北に2.5km。十和田町の市街地の北のはずれに“毛馬内運動公園”がある。公園の南端に「毛馬内氏発祥の地」と 刻まれた 新しい石碑が建つ。
毛馬内氏は 南部秀範を祖とする家である。秀範は16世紀に 鹿角郡代としてこの地に赴任し, 毛馬内城を居城とし「毛馬内氏」を称した。
この地は 当麻館(毛馬内古館)の跡で,小坂川東岸の南に張り出した丘陵の先端にある平山城だったが, 17世紀になって ここから1kmほど南に新しい館(柏崎館)を築き,ここに新しく町割りを行い 小さいながらも計画的に整備された城下町を造った。
現在もその町割りが残っていて,平成20年(2008) 8月には“十和田毛馬内地区の町割整備400年”の記念祭を盛大に開催した。 この発祥碑は その際に建立された新しい碑である。
写真
碑文
毛馬内氏 発祥の地
元文五年(1536年)
南部藩二二代藩主正康公五男
信次君・秀範,二〇〇〇石を
玉わり 毛馬内姓を名乗り
鹿角郡毛馬内の庄を治める
毛馬内新城 四〇〇年祭を
記念して建立する
毛馬内割り
四〇〇年祭実行委員会
毛馬内誠一
毛馬内教夫
毛馬内勇士
毛馬内道夫
平成二十年八月二十日
「玉わる」とは珍しい表現だがちょっと調べただけではわからなかった