木彫熊 北海道 発祥の地(移転)
きぼりのくまほっかいどうはっしょうのち
函館本線 八雲駅から 西に1km。国立病院機構・八雲病院の裏側(南側),航空自衛隊八雲基地との間に,荒れ果てた公園跡地があって, この中程に 高さ約1mの変形六角形の黒みかげ石の石碑が建っている。 碑の表面には 熊の顔のレリーフが彫られ,裏側に 碑の由来が記されている。更に 碑の後方には,背の低い 屋根のついた石の建物のような構造物 (かつてヒグマが飼われた熊舎だった) が残されている。
この地は,1878(明治11)年に,旧尾張藩主の徳川慶勝が,職を奪われた旧藩士の救済(授産)のために農場を開いた場所。 八雲町は徳川家の所有地が多く,発祥碑のあるこの地の周辺には 農場事務所が置かれ, 周辺は庭園が造られて“真萩館”と呼ばれた迎賓の施設も設けられた。
徳川家19代当主 (徳川義親侯)は,大正10年(1921)~11年に 欧州視察旅行をした際に,スイスで みやげ品として木彫りの熊を 購入して帰国した。北海道では 冬季には農民の仕事がなくなるため,義親はスイス土産の熊の彫り物を参考として, 農民の副業として熊の置物を彫るように薦めた。 完成品は 徳川農園でまとめて買い上げ,北海道の土産品として販売した。そのために 木彫熊の生態モデルとして 庭園内の池のほとりに熊舎を作り,雲八・磯子 と名付けられた2頭のヒグマを飼育して一般に公開したりした。
農園庭園として整備されたこの地は,1943(昭和18)年に陸軍に寄付されて,飛行場と病院・兵舎などが建設されたが, 戦後 その一部が八雲町によって「町立徳川公園」として公開された。 この発祥碑は 八雲町100年を記念して 1978(昭和53)年に建立されたが,その後 公園は閉鎖され,現在は未整備のまま放置されている状況にある。
なお,木彫熊発祥碑から数m離れたところには,「徳川家開墾之地」と刻まれた 大きな白い石碑がポツンと建っている。
薄暗く手入れのされていない公園から、八雲駅近くの、郷土資料館(木彫りの熊資料館)敷地に引っ越したようです。
写真
碑文
木彫熊北海道発祥の地
大正十年から十一年にかけて欧州の農村 事情を視察した徳川義親候はスイスの農民が冬季間の副業として木彫熊を製作している のに注目し一個買い求めた
翌年義親候はこうもり傘の骨を研いだノミで八雲の農民たちに木彫熊の彫り方をおしえできた作品は買いあげる約束をしたところ酪農家の伊藤政雄がスイス製をモデルにし 製作し大正十三年三月に開催された徳川農場主宰の「第一回農村美術工芸品評会」に出品した。
これが北海道における木彫熊の第一号でその後農民たちは「八雲農民美術研究会」を結成し徳川農場内のこの場所に羆を飼育してもらうと共に講習会などを開催して作品の技術向上に努めたのでわが国の代表的土産品として推奨されるに至り現在でも伝統は維持されている一九七八年九月吉日
題字 八雲町長 北口 盛
説明書 林珪雲
熊図 上村信光
施工 高橋石材店