近代 製鉄 発祥の地
きんだいせいてつはっしょうのち
鹿児島本線 スペースワールド駅から 南西に200m。駅南にあるいのちのたび博物館・環境ミュージアム・北九州イノベーションギャラリーなどに囲まれて東田第一高炉史跡広場(北九州市八幡東区東田2丁目3-12)がある。旧八幡製鉄所の高炉を復元した巨大な施設の前に 「近代製鉄発祥の地・東田第一高炉跡」というモニュメントが建っている。
明治中期, 日清戦争(1894~5[明治27~8])を契機に 近代的な製鉄所設立の機運が高まり, 明治政府はこの地 八幡村に“官営製鉄所”を開設した。ドイツ人技師を招いて1897(明治30)年から4年の歳月をかけて “東田第一高炉”を建設。建設費は 日清戦争で得た賠償金で賄われた。
その後 経営形態は“官営”から“日本製鉄八幡製鉄所”となり, 戦後“八幡製鉄”の時代を経て, 1970(昭和45)年に“新日本製鉄八幡製鉄所”となった。その後 設備の近代化・合理化のため製鉄事業の主力は隣接する戸畑地区に移転し, ここ八幡地区は広大な敷地が遊休地となった。
東田第一高炉は 1901(明治34)年に稼働し, 途中10回にわたる大改修を経て, 1962(昭和37)年に操業を停止するまで, 60年余り鉄を造り続けた。高炉は保存され, 2001年にこの一帯で開催された“北九州博覧祭”に際して一般の見学に供された。さらに 永久保存の声を受けて, 保存整備の後1999(平成11)年から“東田第一高炉史跡広場”として一般公開された。保存施設としては高炉と白いタンクのような“熱風炉”など大きな施設があり, 現在は 「近代製鉄発祥の地」として 北九州市の史跡に指定されている。
なお, 日本における近代(洋式)製鉄の発祥は釜石とされている。この地 東田第一高炉は, 正確には「九州における近代製鉄発祥の地」とでもいうべきか。 詳しくは「近代製鉄業発祥の地」 の項 参照。
写真
碑文
近代製鉄発祥の地
北九州市指定文化財(史跡)東田第一高炉跡史跡
東田第一高炉史跡広場