木曽踊 発祥之地
きそおどりはっしょうのち
中央本線 木曽福島駅から 北東に約1.3km。福島関所跡の北にある興禅寺の境内 義仲堂の前に高さ3mに近い大きな石碑が建っている。
木曽踊は, 長野県木曾地方で 哀調を帯びた木曽節に合わせて踊る素朴な盆踊り。碑文にあるように, 鎌倉時代(15世紀)に 木曽家12代目信道が小丸山城を築き, 興禅寺を木曽義仲の菩提寺とした。この時の 倶利伽羅峠の戦勝を記念した霊祭で“風流陣の踊り”がなされ, その武者踊りが「木曽踊」の起源と考えられている。その後民衆に伝わり 盆踊りとして広まった。
大正4年(1915) いくつかのバリエーションの中から「なかのりさん節」を元歌に現在の「木曾節」や「木曽踊」が整理され, 当時の木曾福島町長が“木曽踊り保存会”を結成して 木曾節の宣伝につとめるなどした結果 一般に知られるようになった。全国一踊りやすい盆踊りと言われるが, 正調木曽節は微妙な節回しで歌うのは大変難しい。
興禅寺は“木曽三大寺”の一つといわれる臨済宗の寺。木曽氏の菩提寺で, 木曽義仲を初めとする木曽一族の墓がある。ただし 義仲の墓は 滋賀県大津市の義仲寺にもあり, 義仲妾・巴御前の墓もこちら。
写真
碑文
木曽踊発祥之地
木曽のナアー
なかのりさん
木曽の御嶽
ナンチャラホイ
夏でも寒い
ヨイヨイヨイ
袷せナアァー
なかのりさん
袷せやりたや
ナンチャラホイ
足袋そえて
ヨイヨイヨイ肥田雅弘書
木曽踊の由来
木曽に伝わる古文書“木曽考”によると今から 五四〇年程の永享年間木曽義仲十世の 孫木曽信道が福島に小丸山城を築き興禅寺を 復興して義仲の菩提寺とした
かって義仲が夜陰に乗じ数百頭の牛の角に“たいまつ”をともして 平家軍の中に追いやり大勝を博したという 倶利伽羅峠の戦勝を記念した霊祭として 毎年七月十四・十五の両夜福島の東方に聳える 関山に登り“大”の火文字を描いて旗を上げ太鼓 ホラ貝を鳴らし喊声をあげて山を駆け下り 義仲の墓に詣で興禅寺の庭で“風流陣の 踊をなしたり”と書かれている
恐らくこの踊が現在の“木曽踊”の起りであらう