小室節発祥の地
こむろぶしはっしょうのち
小海線 東小諸駅から国道141号を南東に600m、平和公園(小諸市御幸町2丁目2)内に石碑が設置されている。
朝廷に献上する貢馬の牧場として、平安時代の初め頃から小諸周辺には望月・長倉・塩野・菱野の牧などの官牧があった。小室節の元歌といわれるものは、祝詞調の祭礼唄で、そこに牧の中で生まれた駒ひきの唄が混成したとされる。それが若干の変化をしながら、多くの旅人に愛唱され各地に伝播し、越後追分・出雲追分・江差追分などになったということである。特に、中山道と北国街道の分岐点の追分宿で、飯盛女等により唄われたのが、信濃追分節という座敷唄である。
江戸時代には、小諸の祇園祭でも歌われていた記録が残され、また、広く知られていたことは、松尾芭蕉の門下生、水田正秀や、小林一茶の句からもうかがえる。
なお小室節研究については長尾真道氏頼りであるようだ。
写真
碑文
追分節の源流
小室節発祥の地
こもろ出て
見よや
浅間の山に
今朝も
三筋の
煙り立つ集成者 長尾真道
昭和六十三年五月
第10囬小室節全国大会記念として
小室節保存会建之塩川忠巳 書