甲州ぶどう 発祥の地
こうしゅうぶどうはっしょうのち
中央本線 勝沼ぶどう郷駅の南, 直線距離で約1.5km の国道20号沿いに, 真言宗 柏尾山大善寺(甲州市勝沼町勝沼3559)がある。通称 ぶどう寺。 客殿・庫裏を右に見て石段を上ったところに楽堂と薬師堂(本堂)があって, 楽堂の横に発祥の地の説明板が建っている。
大善寺の開創は養老2年(718) に遡る。行基が当地で修行の満願の日に、夢枕に薬師如来が右手にぶどうを持って現れたことから薬師如来像を作り、当地に大善寺を開山したという伝説を根拠に、ぶどう発祥のぶどう寺としている。
天正10年(1582) 織田信長と争った武田信玄が死去し, 武田勝頼は 岩殿城で再興をはかるべく 韮崎を出て 途中この大善寺で戦勝祈願をした。しかし、一夜明けてみると家臣の大半が離散し, 岩殿城主にも裏切られて, 勝頼は家臣とともに自決し武田家は滅亡した。その一部始終を目撃した 理慶尼が記した「理慶尼記」は 「武田滅亡記」ともいわれ, 大善寺に今なお大切に保管されているという。
最寄り駅は珍奇な名称であるが、大正2年(1913) 開設時は至って普通に地名を冠した「勝沼駅」だった。国鉄分割後の平成5年(1993) に「勝沼ぶどう郷」に変更となり、地域名と名産品を組み合わせた駅名の先駆けである。なお、当駅は傾斜地にあるため、開設時はスイッチバック駅だったが、その後昭和43年(1968) には技術も進歩して本線上に駅が設けられ、スイッチバック駅は廃止となった。スイッチバック式の勝沼旧駅は、散歩道として開放されている。
勝沼町は、平成17年(2005) 11月に塩山市・大和村と合併して甲州市となる。
年月が経ち、甲府盆地を見下ろす展望台の表示は撤去され、楽屋堂脇に3つの案内が集約されていた。
写真
碑文
甲州ぶどう発祥の地
大善寺伝説養老二年(七一八)僧行基が甲斐国を訪れたとき勝沼の柏尾にいたり, 日川の渓谷の大石の上で修行したところ, 満願の日, 夢の中に, 右手にぶどうを持った薬師如来があらわれたといわれます。
行基はその夢を歓び, 早速夢の中にあらわれたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが, 今日の柏尾山大善寺であります。
以来, 行基は薬園をつくって民衆を救い, 法薬のぶどうのつくり方を村人に教えたので, この地にぶどうが栽培されるようになり, これが甲州ぶどうの始まりだと伝えられています。
大善寺伝説は, 仏教渡来とともに大陸から我が国にもたらされたぶどうが, 薬師信仰と結びついて, この地に伝えられたことを指すものとして理解されます。(江戸時代正徳年間のぶどう栽培地の図)
昭和五十四年十月一日
勝沼町教育委員会
甲州ぶどう発祥の地 大善寺伝説
養老二年(718) 僧行基が甲斐国を訪れたとき、勝沼の柏尾にいたり、日川の渓谷の大岩の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、右手にぶどうを持った薬師如来があらわれたといわれています。
行基はその夢を喜び、早速夢の中にあらわれたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置し寺を開山したのが、今日の柏尾山大善寺であります。
以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬のぶどうのつくり方を村人に教えたので、この地にぶどうが栽培されるようになり、これが甲州ぶどうの始まりだと伝えられています。
大善寺伝説は、仏教渡来とともに大陸から我が国にもたらされたぶどうが、薬師信仰と結びついて、この地に伝えられたことを指すものとして理解されます。山梨県教育委員会 甲州市教育委員会 JR鉄道文化財団
【英語】
The Birthplace of Kōshū Grapes - Legend of Daizenji Temple
Buddihist priest Gyōki arrived at the site of this temple in 718. It is said that during his Buddhist ascetic training, he was visited in his dream by Yakushi Nyorai, the Buddha of Medicine and Healing, holding grapes in his right hand. It is this image of Yakushi Nyorai that Gyōki sculpted and enshrines as the Buddhist statue of Daizenji. He subsequently taught the people of the surrounding region how to grow grapes, making the beginning of grape farming in this area named Kōshū. This, according to local legend, was the origin of the famous Kōshū grapes.
【中国語】
甲州葡萄发祥之地 大善寺的传说
有传说认为日本的甲州葡萄发源于此地,这个寺庙被称为葡萄发祥之寺。【韓国語】
고슈 포도 발상지 다이젠지 절 전설
일본의 고슈 포도가 이 지역에서 시작되었다고 하는 전설이 있어, 이 절은. 포도 발상의 절이라고 일컬어집니다.JR鉄道文化財団助成事業
「ぶどう寺」~甲州葡萄発祥の言い伝え~
柏尾山大善寺は「ぶどう寺」として親しまれています。古くから仏教では葡萄は法薬として使われており、寺伝によると、奈良時代の名僧、行基が日川のほとりで迷走していたところ、夢に葡萄を手にした薬師如来が現れました。その姿を薬師如来像として刻み、安置して開かれたのが大善寺のはじまりであるということです。行基はこの地に薬園を作り、法薬としての葡萄の作り方を人々に広めていったのが、山梨県固有品種「甲州葡萄」の発祥とも伝えられています。また、甲州葡萄の始まりには、鎌倉時代初期の甲斐国の住人、雨宮勘解由が山葡萄と異なる葡萄を発見したものが起源であるという説もあります。このような伝承が息づく地において、葡萄と深い結びつきが「ぶどう寺」の所以と言えるでしょう。薬師如来像は「ぶどう薬師」とも呼ばれ、普段は秘仏として本堂内の厨子に納められていますが、5年に一度、その姿を拝むことができます。
The "Kōshū" Grape
Geapes, which are not native to Japan, almost certainly arrived here via Silk Road through China. Analyses of DNA have revealed that the modern Kōshū grape of Japan, a grape used in making white wines, is actually a hybrid of grapes found in the Caucuses region near the Caspian Sea and wild varieties found in China. According to local legend, Gyōki, the great priest who founded Daizen-ji Tmple in 718, cultivated the land, which is notsuitable for growing rice, for vineyards and taught the locals how to grow grapes. Another legend says grape vines were discovered and greatly improved by Kageyu Amemiya during the Kamakura period (1185-1333)