黒田節 誕生の地

くろだぶしたんじょうのち

近鉄京都線 桃山御陵前駅、京阪 伏見桃山駅の東、奈良線 桃山駅の西、国道24号線に沿って在る御香宮ごこうのみや神社。大手筋通りに面した表門の西側の壁の前にあるいくつかの表示の一つの駒札に、黒田節誕生について書かれている。

黒田節といえば祝宴でよく歌われた福岡の民謡だが、この福岡民謡は京都伏見での出来事について歌われている。黒田家の家臣 母里太兵衛が伏見の大名 福島正則に招かれ、酒の無理強いとも言える勧めを一度は断ったが、名槍をもらえるならと酒を飲み干して見事手に入れたという内容。

お祝いにはとくに関係無く、酒席なら何でもよかろうと思われる。

誕生の地の駒札が建ったが御香宮神社が発祥地というわけでもなさそうな雰囲気。内容から察するに、京都の福島邸(伏見区桃山福島太夫北町周辺)または伏見城(伏見区桃山町)でのできごとなのではないかとも思われるが、なぜ御香宮門前なのかは不明。

この駒札は平成26年(2014) 9月13日に除幕となった。

【参考】

写真

  • 黒田節誕生の地
  • 黒田節誕生の地
  • 黒田節誕生の地
  • 御香宮神社 表門
  • 御香宮神社境内
  • 御香宮神社 拝殿
  • 御香宮神社 拝殿
  • 御香宮神社に涌く御香水の井戸

碑文

「黒田節」誕生の地

「黒田節」は「酒は飲め飲め飲むならば もといちのこのやりを 飲みとる程に飲むならば これぞまことの黒田武士」の歌詞が特に有名な福岡県の民謡で、酒席には欠かせぬ名歌である。

この歌詞は、福岡藩の儒学者、貝原益軒かいばらえきけんが著した「黒田家臣伝」の母里もり但馬伝たじまでんにも登場する逸話が元になっている。

伏見の桃山の地にあった戦国大名・福島正則ふくしままさのりの屋敷での酒宴に、黒田家の家臣・母里もり太兵衛たへえが招かれた時のこと。正則は大きな鉢を杯に見立て、「これで酒を」と勧めたところ、余りの大きさに太兵衛は断った。しかし飲めば望みの品を与えると強いたため、太兵衛は座上に架かった槍を見て、「あれをいただけるなら」と答えた。

その槍は正則が豊臣秀吉から賜った秘蔵の品。正則は酔った勢いで承知したところ、太兵衛は大杯に注がれた酒を見事飲み干し、槍を持ち帰った。後悔した正則は、返して欲しいと何度も使いを出したが、太兵衛はついに返さなかったという。

この名槍「日本号」は、別名「み取りの槍」と言われ、現在も福岡市博物館に収められている。

京都市

地図

地図

京都市伏見区御香宮門前町 付近 [ストリートビュー]