京極町 農業協同組合 発祥之地
きょうごくちょうのうぎょうきょうどうくみあいはっしょうのち
函館本線
京極町は,明治30年(1897) に旧讃岐丸亀藩主の京極家の当主(子爵)が倶知安村の郊外に農場を開き,明治43年(1910) に倶知安村より分村して「東倶知安村」と称したのに始まる。昭和15年(1940) に京極村となり,戦後の昭和37年(1962) に京極町となっている。
明治末期から大正初期にかけて 開拓農民の生活は苦しく,肥料を購入する資金にもことかいたため農産物の収量も年ごとに減少して ますます困窮していった。この状況を憂いた木下喜一郎氏は 肥料の共同購入を第一の目的として信用組合の設立を計画。大正8年(1919) この地に「東倶知安軽川信用購買販売利用組合」が設立された。
その後 軽川の組合は区域を全村に拡大して,昭和12年(1937) に「東倶知安信用購買販売利用組合」に発展し,農民生活の安定に寄与した。
この組合は (旧)後志支庁管内で最初の農業組合で,農業協同組合の発祥とされる。なお,「信用購買販売利用組合」は 戦時統制下で“農業会”となり,戦後は“農業協同組合”と改称。 平成9年(1997) に周辺町村の8農協と合併して,現在は「JAようてい」となっている。
写真
碑文
京極町農業協同組合発祥之地
大正八年十一月初代組合長故本間敬三翁らの奔走によりこの地に東倶知安軽川信用購買販売利用組合が創立せらる これ本庁農業共同組合の前身にして本農協設立二十周年に当たり組合員の総意によりこれを碑文に止め永く記念するものである
昭和四十三年三月七日
京極町農業協同組合
組合長理事 中村盛雄