極真空手 発祥の地
きょくしんからてはっしょうのち
外房線 安房天津駅から 北に5km。千葉県道81号 清澄養老ラインから 日蓮宗大本山 清澄寺に向かう参道に入ると, その一番奥に やや広い駐車場と“重兵衛”というドライブインがある。駐車場の北隅に「極真空手発祥の地」と書かれた案内標が建っていて,そこから裏山に山道を入ると間もなく黒御影石の立派な石碑が建っている。
空手は,琉球王国時代の沖縄で発祥した 手と足による打撃技を特徴とする格闘技で,明治~大正時代にかけて 日本本土にも伝えられた。太平洋戦争後になって空手の競技化(試合化)が行われたが,その時のルールは“寸止め”、直接打撃せずに寸前で止めることであった。
極真空手とは,大山倍達氏が始めた
彼は それまでの“寸止めルール”に対する不満を解消するため, 顔面以外の身体に直接突きや蹴りを入れる“フルコンタクト”ルールを取り入れ,「総合武術」に発展させた。 フルコンタクト制の国際試合も広く行われるようになり,特に昭和46年(1971) から大山氏をモデルにした漫画「空手バカ一代」の連載が始まり,爆発的な空手ブームが起こり,極真会館は急成長を遂げた。
令和元年(2019) の台風の影響で、折れちゃったようです。
写真
碑文
世界平和
極真空手発祥の地
極真空手の創始者・大山倍達(1923~1991)は 生涯を空手の道に捧げる事を決意し,1948年,清澄山に於いて一年半におよぶ山籠り修業を行った。
飢えと孤独に克ち,修業を全うして驚異的な強さを身に付けた大山は 下山した直後,千葉県館山で牛と対決して倒した。
その後,アメリカを皮切りに全世界に遠征しプロレスラーをはじめ, あらゆる格闘家と真剣勝負を行い全勝,その技は『ゴッドハンド=神の手』と絶賛された。
1954年に創設された大山道場を前身として,1964年 空手道連盟極真会館が発足し大山は国際空手同連盟総裁,極真会館長に就任した。極真空手はやがて世界百四十ヵ国,千二百万人の門下生を抱える空手団体となり大山は『空手の父』として尊敬を集めた。「山籠り生活の中で私の念頭や胸中には『極真空手』の理念や構想が次第にくっきりと視えてきた」(大山倍達著『自分に勝て!わが性格改造論』より)
後に著書の中でこう述べているように,清澄山は極真空手発祥の原点と言うべき聖地である。国際空手道連盟極真会館
館長 松井章圭
最高顧問 郷田勇三
全国支部長一同平成十九年十二月吉日建之
寄贈 ㈱御稜墓苑開発
代表取締役 村上和男