郵便発祥の地
まつもとゆうびんきょくはっしょうのち
篠ノ井線・松本電鉄 松本駅から東に300m。 松本電鉄バスターミナルとアルピコプラザホテル(旧 東急REIホテル、旧 松本東急イン)の間の道を深志神社の方に行くと, 松本城からまっすぐ南下する県道295号と交差する。この交差点の西南隅の 松本信用金庫 本町支店(松本市深志2丁目3-9)前にこの碑がある。
碑の上には 飛脚が郵便箱を担いで走る姿の彫が載っている。 モニュメントの向い側には 黒塗りの“書状集箱”があり,右側には副碑が建っている。
この地は かつて“本町問屋倉科家”があった場所である。倉科家は歴代の松本藩主より陣屋と問屋を任され,公用荷物の輸送を取り仕切る公的機関としての機能を果たしていた。
明治5年(1872) 明治新政府は郵便規則を発布して全国で実施し,松本においては「松本郵便取扱所」が倉科宅に設置され,この地が松本における最初の官営の郵便施設であった。その後 明治8年(1875) に「松本三等郵便局」と改称され,本町2丁目に移転した。現在の松本郵便局は この地より北へ200mの 中央2丁目にある。
写真
碑文
郵便局発祥の地
松本郵便局発祥の地
現在地は 松本に初めて郵便局が設置された問屋倉科屋敷跡である
明治の世となり それまで飛脚仲間によって運ばれていた親書を より速く確実に送達するため官営の郵便制度が定められ 全国ネット が組織された 明治五年(一八七二)七月一日「松本郵便役所」が松本本町五丁目百九十一番の倉科七郎宅に設けられて取扱いが始まった これが松本における 郵便局の初めである。切手をはって書状集箱 (原形は木製)へ投かんされた手紙は ブロンズ像のようないでたちの「脚夫」 が 郵便行李を肩に定められた線路にしたがって脚力で逓送する。後には軽快に作られた枠車に積んで走る人車送や馬車送もあった。明治六年の資料によれば, 松本から東京まで書状一通の切手代は二銭(7.5グラムまで) 所要日数は六日であった。
初代の松本郵便役所取扱人(局長)となった倉科氏 は,天正年代から江戸時代を通じて問屋職兼本町の大名主を勤めた家柄で 町役人の筆頭として城下町を 差配した。家屋敷は町人地随一を誇る大構で二十七間 間口と広くまた 少し南の「袖留橋」際には維新前まで松本藩の高札場があった本町五丁目は「善光寺街道」と 呼ばれる往還で 旅人や荷馬,荷牛が賑わう目抜き通りであった。松本市は昭和六十二年四月全国に先駆けて「郵とぴあ構想モデル都市」に指定された。
そこで「松本郵便局発祥の地」を顕彰し記念とした。平成二年四月二十日