松本平 電気 発祥の地

まつもとだいらでんきはっしょうのち

篠ノ井線 松本駅から東に8km。松本の市街地から県道67号で 東の美ヶ原の方に入る。 山辺ワイナリーから 2km程西の右手に“薄川すすきがわ第一水力発電所”があり,発祥碑がある。発電所手前の広場奥には歴代の水車等が展示されている。

薄川第一水力発電所は松本で最初に建設された発電所でその歴史などは説明板に書かれている。こちらで発電され、明治32年(1899)12月の営業運転を前に、10月には松本市内の四柱神社境内でアーク灯が灯された。

電気の燈 初めてここにともる

写真

  • ここ松本平電気発祥の地 (2020)
  • ここ松本平電気発祥の地 (2020)
  • ここ松本平電気発祥の地 背面 (2020)
  • 発電機パーツ群 (2020)
  • 詩碑 解説板 (2020)
  • 詩碑 (2020)
  • 詩碑 背面 (2020)
  • 松本平電気発祥の地
  • 松本平電気発祥の地 碑文
  • 薄川第一水力発電所のあらまし
  • 歴代の機械たち

碑文

薄川㐧一水力発電所

ここ松本平
  電気発祥の地

昭和五十六年十一月
 松本市長 和合正治書

薄川第一水力発電所は明治三十二年十二月に発電を開始し,このとき初めて松本平に電気の燈がともりました。
当時の人々の「水から燈が出るわけがない」という驚きが目に見えるようです。当社創立三十周年にあたり,この貴重な文化の足跡を残すため,松本市長 和合正治氏の直筆により記念碑を設置いたしました。
なお記念碑の土台石は薄川第一水力発電所建設当時の基礎石を使用したものです。

中部電力株式会社 長野支店 松本電力所

薄川(すすきがわ)第一(だいいち)水力(すいりょく)発電所(はつでんしょ)のあらまし
長野(ながの)県内(けんない)最古(さいこ)発電所(はつでんしょ)

薄川(すすきがわ)第一(だいいち)発電所(はつでんしょ)は,長野県内(ながのけんない)運転(うんてん)(つづ)けている発電所(はつでんしょ)(なか)(もっと)(ふる)発電所(はつでんしょ)です。建設当時(けんせつとうじ)出力(しゅつりょく)は60kWで,松本町(まつもとちょう)および本郷村(ほんごうむら)(ともに(げん)松本市(まつもとし))に電気(でんき)供給(きょうきゅう)しましたが,需要(じゅよう)のほとんどは電灯(でんとう)でした。

発電所(はつでんしょ)()()

薄川(すすきがわ)第一(だいいち)発電所(はつでんしょ)は,明治(めいじ)32(ねん)12(がつ)松本電灯(まつもとでんとう)株式会社(かぶしきがいしゃ)によって建設(けんせつ)されました。翌年(よくねん)には120kWに増設(ぞうせつ)され,その()改修(かいしゅう)()(かえ)現在(げんざい)は390kWで運転(うんてん)しております。建設(けんせつ)当時(とうじ)写真(しゃしん)(のこ)っておらず,(みぎ)写真(しゃしん)昭和(しょうわ)30年代(ねんだい)のものです。

かぜにもきえぬ燈火(ともしび)(かげ)

松本平(まつもとだいら)(はじ)めて電灯(でんとう)をともしたのは,この発電所(はつでんしょ)から四柱(よはしら)神社(じんじゃ)境内(けいだい)(おく)られた電気(でんき)でした。
四柱神社(よはしらじんじゃ)境内(けいだい)にある記念碑(きねんひ)には,浅井(あさい)(きよし)短歌(たんか)が“電気燈(でんきとう)”というタイトルで「()もすがら(あぶら)もささず (かぜ)ふけど かぜにもきえぬ 燈火(ともしび)(かげ)」とあり,当時(とうじ)人達(ひとたち)(おどろ)きが伝わってきます。

燈火不熄

東嶽渓流水勢雄
回輪發電勝天工
風吹燈火終無熄
百歳連延著大功

賀薄川第一發電所百周年
平成巳卯孟秋 詩書

中部電力株式會社
社長 太田宏次

平成十一年十二月吉日建立

「燈火不熄」の詩碑に寄せて

太田偕風

東嶽渓流水勢雄
回輪發電勝天工
風吹燈火終無熄
百歳連延著大功

東嶽(とうがく)渓流(けいりゅう) 水勢(すいせい)(ゆう)なり
(りん)(まわ)(でん)(はっ)すれば天工(てんこう)(まさ)
(かぜ)()けど 燈火(とうか)(つい)()える()
百歳(ひゃくさい) 連延(れんえん)として大功(たいこう)(あら)わす」

(ひがし)山嶽地帯(さんがくちたい)から(なが)()渓流(けいりゅう)は、水量(すいりょう)豊富(ほうふ)(なが)れの(いきお)いも(つよ)い。その(みず)使(つか)って発電機(はつでんき)(まわ)し、電気(でんき)(つく)るということは神技(かみわざ)以上(いじょう)(こと)のように(おも)われる。
この電気(でんき)(とも)燈火(とうか)は、(かぜ)()いてもついに()())えることがない。(と当時(とうじ)(ひと)感嘆(かんたん)した。)
(とう)発電所(はつでんしょ)はもはや百年(ひゃくねん)運転(うんてん)継続(けいぞく)し、()(なか)のために大変(たいへん)役立(やくだ)っている。」

信州(しんしゅう)松本(まつもと)電気事業(でんきじぎょう)発祥(はっしょう)は、当時(とうじ)最新技術(さいしんぎじゅつ)()()れた薄川(すすきがわ)第一(だいいち)発電所(はつでんしょ)建設(けんせつ)(はじ)まる。
爾来(じらい)電気事業(でんきじぎょう)には(おお)くの試練(しれん)があり、経営上(けいえいじょう)困難(こんなん)なこともあったが、ここに無事(ぶじ)百周年(ひゃくしゅうねん)(むか)えることができた。そしてこの(かん)電気事業(でんきじぎょう)経済大国(けいざいたいこく)となった()(くに)発展(はってん)のために大変(たいへん)功績(こうせき)(のこ)した。」

平成十一年十二月

偕風(かいふう)社長(しゃちょう) 太田(おおた)宏次(ひろじ)雅号(がごう)です

いろいろ原文侭

地図

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