明徳 小学校 発祥之地
めいとくしょうがっこうはっしょうのち
都営浅草線 本所吾妻橋駅の西およそ500m。 駒形橋の東詰から南東に200mほど先の通りから少し入り込んだところに日蓮宗の寺 本久寺がある。寺の入り口脇に写真に示す石碑が建つ。
明治5年(1872) に学制が公布され 公立学校が設立されることになり, ここ本所地区でも 本久寺に寺子屋が開設された。これが 後の明徳小学校である。その3年後に ここから南東に400m先(現在の本所中学校)に移転。大正12年(1923) の関東大震災で校舎が焼失し, 7年後に 鉄筋の新校舎が完成したが, 1945(昭和20)年の東京大空襲で再び全焼し, 翌年 国民学校の廃止に伴い廃校になった。
この発祥碑は 平成18年(2006) 6月に 開校130周年記念として建立された。
写真
碑文
明徳小学校発祥之地
明徳校友会 会長 五木田 直
開校百三十周年記念事業
実行委員会 委員長 名児耶 清平成十八年五月十四日
本久寺 三十二世 持田日勇代
金井 晴雲 書