三ッ輪産業 発祥之地
みつわさんぎょうはっしょうのち
京浜急行 子安駅の南東 約300m。国道15号(第一京浜)の入江橋交差点から南に入り、富士見橋を渡った右側に三ツ輪産業㈱横浜支店(神奈川区守屋町2-6)がある。その社屋前に小型で半円型の石碑が建っている。
三ッ輪産業㈱は, 昭和15年(1940) にこの地で煉炭の製造や石炭の販売を開始したのが始まり。現在は, 本社は 東京 丸の内に移転, ここは横浜支店となり, 営業品目も LPガスや石油の販売を中心とする事業に変わっている。敷地内には 燃料会社らしく, 小型の石油タンクが設置され, タンクローリーが盛んに 出入りしている。
この辺りは かつて“子安”と呼ばれる漁村だった。海岸は 海水浴場として知られていたが, 明治末期から大正期にかけて 実業家 守屋此助によって埋め立てられ“守屋町”と呼ばれる 工場地帯となった。三ッ輪産業の裏側には 高島貨物線が走り, その向こう側には マツダの横浜研究所などがある。
写真
碑文
三ッ輪産業株式会社
發祥之地創業昭和15年5月1日