軟式野球発祥の地・京都
なんしきやきゅうはっしょうのちきょうと
京都市営地下鉄 烏丸線 松ヶ崎駅の北 150m。宝ヶ池公園スポーツ広場の東端に 100m四方ぐらいのグラウンドがあり,その東側フェンスの外側に立つ掲揚塔下に 「夢みる季節」と題するグローブとバットを持つ少年の像が建っている。モニュメントの側面に「軟式野球発祥の記念像」と書かれている。
軟式野球は 日本発祥の競技で,ゴムなどの柔らかい素材のボールを用いる野球競技。一応 世界大会もあるが, 海外での普及率は非常に低い。
野球は 明治初年にアメリカから伝わり,大正4年(1915)に開催された全国中等学校優勝野球大会などにより 全国の青少年の間に普及し 花形スポーツになって行った。
この頃 本格的に硬式ボールを使うに至らない子供たちは, テニスボールなどで野球を楽しんだが.重量が軽くてスピード感が伴わず,耐久性も不足するなどの欠点があった。そこで 野球を安全かつ手軽に楽しめるように,野球用ゴムボールの開発が行われ,大正8年(1919)に成徳小学校(戦後 成徳中学校となる)で軟式野球大会が開催された。これが軟式野球の始まりである。
大正8年(1919)に 軟式野球ボールが初めて市販され,これによって 少年野球の人口が増加し,大正9年(1920)には 神戸で「大日本少年野球協会」が発足,全国大会まで開かれるようになった。
昭和4年(1929)には 一般社会人を対象とした「日本軟式野球協会」が設立され,市民スポーツとして 定着していった。第二次世界大戦の間 一時途絶えていたが,戦後 昭和21年(1946) 全日本軟式野球連盟が設立され, この年から始まった国民体育大会の一環として「全日本軟式野球大会」が開催され,現在も 国体の正式種目の一つとなっている。
写真
碑文
夢みる季節
京都市長
桝本頼兼書
「軟式野球発祥の記念像」
大正4年, 第1回全国中等学校優勝野球大会 (現 全国高等学校野球選手権大会) において京都二中が見事初優勝を飾り, 京都の少年達の間に一気に野球熱が高まった。少年達がより安全かつ安価に野球を楽しめるよう,京都市の小学校の教員が中心になり「京都少年野球研究会」が結成され,京都文具商業組合長の鈴鹿栄氏(平成15年野球殿堂入り)が要になって野球用ゴムボールの開発が行われた。ボールは大正7年に完成し, 翌年7月に京都市第二高等小学校(下京区 元 成徳小学校。戦後, 成徳中学校に)において, 京都少年野球研究会が軟式野球大会を開催したのが, 我国はもとより, 世界に普及した軟式野球の始まりである。
平成15年, 京都市スポーツ少年団野球連盟では, 結成25周年を機に,更なる軟式野球の振興・発展と青少年の健全育成に貢献することを目的として桝本頼兼市長等と協議を重ね, 少年野球の殿堂である宝ヶ池少年スポーツ広場に「軟式野球発祥の記念像」を設置することとし, 数多くの市民の協賛によって「夢みる季節」と名づけられた記念像が完成した。
この記念像の設置により, 多くの子ども達に軟式野球発祥の由来を知ってもらうとともに, “軟式野球発祥の地・京都”の子どもとして, 夢と誇りを持ってスポーツに打ち込み, 夢みる季節の充実を願うものである。平成15年10月19日
- 寄付
- 京都市スポーツ少年団野球連盟
- 制作
- 竹内晋平
- 協賛
- 京都府野球連盟 京都府軟式野球連盟 京都市軟式野球連盟 京都青少年育成スポーツ財団 京都平安ライオンズクラブ 朝日新聞社 京都新聞社 京都青果合同株式会社 ダイワマルエス株式会社 ナガセサンコー株式会社