日本弁論連盟 発祥之地
にほんべんろんれんめいはっしょうのち
島原城の北にある島原文化会館(島原市城内1丁目1177-2)の南の植え込み近くに、四角柱の石碑が建つ。側面にはその由来も刻まれている。
戦後の疲弊した日本において建設的な発言の場を設けようと、結成された。
写真
碑文
日本弁論連盟発祥之地
日本弁論連盟 会長 江島 優 書
「弁論は人なり、道なり、光なり」昭和二十八年四月、島原市教育委員会のご指導により、島原市青年弁論同志会が結成され、会員の活躍は目覚ましく、雄弁新報社の宮永社長が聴き知り、全国に紹介しようと、昭和三十一年一月七日関西雄弁研究会と、広島市松本商業高校弁論部を島原市に招き、島原市労働会館で親善弁論大会を開催、終了後宿舎幸利屋にて祖国再建に貢献する為全国の若人が建設的な発言の場所をと、日本弁論連盟結成の協議がなされました。助言者として島原市教育委員会からも出席し、熱心に討議された結果、念願の日本弁論連盟が誕生し、夜には護国寺で討論会を開催しました。八日には連盟結成記念に雲仙に登山、九州電力雲仙保養所にて更に協議しました。
一月二十二日大阪府立労働会館に全国より八十名余の青年弁論勇姿が出席し、鳩山一郎内閣総理大臣と清瀬一郎文部大臣からの激励の祝辞(代読)に感激し、名勝を日本弁論連盟と宣言し、勇躍発足しました。十一月二十五日、第一回文部大臣は井全国青年弁論大会を岸和田市で開催、以来全国を持ち廻りで、歴代会長をはじめ役員一同ならびに開催地の青壮年のご苦労により五十四年間継続開催され立派な成果を収め、五十五回大会は群馬県草津町で開催します。島原市でも、八回・十七回・三十一回と三回開催しました。三十一回島原大会の録音テープを天皇陛下がお聴きになられ、有難い激励のお言葉を賜りました。日本弁論連盟の発足の由来を後世に伝え、益々の発展を祈念し、島原市制七十周年を祝して、茲に日本弁論連盟発祥之地の記念碑を建立します。平成二十二年十一月三日
日本弁論連盟顧問 元島和夫謹書
歴代会長名
第一代 宮永規之
第二代 東不二彦
第三代 池上正則
第四代 橋崎祐高
第五代 江島 優長崎県代表
文部科学大臣杯受賞者十名
現在全国一位島原半島代表 文部科学大臣杯受賞者
第一回 元島和夫
第八回 伊藤和清
第一七回 松尾満男
第二三回 内田憲一郞
第四三回 木村利仁ご芳志 寄付協力者
(略)
森永石材店
縞柄新聞社社長 清水 強
島原市教育委員会
島原市記念碑建立協力者