人形浄瑠璃文楽の歴史が始まった場所
にんぎょうじょうるりぶんかのれきしがはじまったばしょ
道頓堀にかかる戎橋の南東、浪速道頓堀ビルと道頓堀ZERO GATE(浪花座跡)の間の隙間のような場所に竹物座跡碑が建てられ、説明も付随している。
竹本座跡の説明で人形浄瑠璃文楽の歴史が始まった場所だと語られている。
写真
碑文
What? 竹本座
1684年、竹本義太夫がこの地で興行を始めたことにより、この劇場は「竹本座」と呼ばれました。
義太夫は、浄瑠璃作者の近松門左衛門と提携し、新しい魅力に溢れた作品を数多く上演しました。中でも、物語の最後を「未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり」と結ぶ『曾根崎心中』は、空前の興行成績を収めたと伝えられます。
近松没後も『仮名手本忠臣蔵』など現代まで上演される演目の多くがここ竹本座で初演されたことからも、人形浄瑠璃文楽の歴史が始まった場所であると言えます。2013年3月27日
上方文化再生実行委員会