二宮 いちご 発祥の地
にのみやいちごはっしょうのち
真岡鐵道 寺内駅から東に3.4km、真岡市物井の栃木県道187号線沿いの三角地に碑がある。
昭和31年(1956)、二宮町(現 真岡市東物井地区)にて麦作の裏作として収益性の高い作物を求めた農家たちが、足利市の農業技術研究者・仁井田一郎の指導を得ていちご栽培を導入したのが本格的な始まりである。向原農研クラブが仁井田氏のもとを訪れ、技術を学びながら二宮町で露地栽培を開始した。 当初は病害虫対策や保温が十分でなく、露地トンネル栽培でも課題が多かった。
その後、夜冷育苗法や電照促成栽培などの新しい技術を試み、また農家同士で知見を共有することで、品質と生産量の向上を図った。気候条件として、冬期に晴れの日が多く雨の少ないこと、東京市場に近い立地が追い風となり、生産性が高まった。
平成6年(1994) 以降、二宮町は生産額および収穫量で全国第1位を維持し、真岡市と合併後もその地位は保たれている。令和5年(2023) には「いちご王国栃木の首都」を宣言し、真岡市が栃木県におけるいちごの中心地であることを明確にした。
芳賀郡二宮町は、平成21年(2009) に真岡市と合併し、真岡市となった。
写真
碑文
二宮
いちご発祥の地昭和二十九年(一九五四)米麦の裏作として導入し栽培を初める
向原農研クラブ
(芳名略)
平成二十三年十月吉日建立
(原文まま)
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