日本赤十字 発祥の部屋

にっぽんせきじゅうじはっしょうのへや

水前寺公園(水前寺成趣園)の東隣。夏目漱石記念館と並んで「ジェーンズ邸」(熊本市中央区水前寺公園22−16)と呼ばれる 美しい建物がある。ここは西南戦争時に日赤創設者・佐野常民が有栖川宮熾仁たるひと親王に ”敵味方の別なく 戦傷者を手当する救護団体を設立する”ことを訴えて許可を得, 「博愛社」を設立した場所である。

ジェーンズ邸には「赤十字発祥の地」というような記念碑はない。わずかに説明用に小さな展示があるだけだ。

  • 明治4年(1871) に「洋学校教師館」として建築。Lリロイ.Lランシング.ジェーンズの家族4人の住居として使用
  • 宗教の授業は無かったが、自宅での聖書研究会から信心を深めるものが出たことが問題視され、明治9年(1876) 熊本洋学校閉鎖
  • 明治10年(1877) 西南戦争に際し, 征討大総督 有栖川宮熾仁親王の宿舎・本営となる。
    佐野常民らが『敵・味方の別なく戦傷者を救護したい』との願いを提出, 有栖川宮から この館で『直許』が下り 博愛社が創設される。日赤発祥のセレモニーの場所となった。 (博愛社は, 10年後に日本赤十字社と改称される)
  • 明治20年(1887) から, 熊本県の物産館, 県立高等女子学校創立時の校舎, 日露戦争時のロシア軍将校の捕虜宿舎などに使用。
  • 昭和7年(1932), 日本赤十字社に譲渡され, 現在の水道町へ移築。日赤記念館, 日赤熊本支部事務局, 血液センターなどとして36年間使用。
  • 昭和43年(1968) 熊本市へ譲渡。1970(昭和45)年 現在地へ移築され, 県有形文化財「ジェーンズ邸」として 保存・公開される。

なお、「発祥の地」を名乗れない理由としては、この建物は3度も移築されたものだからかと思われる。この建物のあの部屋で、ということは確かだとしても、建物は第一高校がある古城町にあり、その時代の話だからだ。その後、南千反町〜水道町を経て水前寺公園に移ってきた。


ジェーンズ邸は平成28年(2016) 4月14日の予震で壁が崩落、16日の熊本大地震本震で建物が倒壊し、再建を断念した。令和2年(2020) 再開の予定で再び移築しようとしている。400mほど離れた市民体育館跡地を予定しているが、創建地だった古城町を強く推している原理主義の反対にあっている。なお、創建地は高校敷地となっており、ほかにある地面としては熊本城公園くらいしかあてがなく、熊本城公園は特別史跡に指定されており一筋縄にはいかない。

写真

  • 日赤記念館の札
  • ジェーンズ邸と日赤記念館
  • 佐野常民
  • 博愛社の活動について
  • ジェーンズ邸
  • ジェーンズ邸
  • 日本赤十字社発祥の部屋

碑文

日本赤十字発祥の部屋

日本赤十字社の前身である「博愛社」 の設立が許可された部屋です。
西南戦争中の明治10年(1877)5月3日のことでした。
当時, ジェーンズ邸は征討総督本営として使用されており, この部屋で 征討総督 有栖川宮熾仁親王から佐野常民へ 許可書が渡されました。

Birth place of the Japanese Red cross

This is the room where the establishment of Hakuaisha was permitted. Permission was given on May 3, 1877 during the Seinan Battle. At that time, Janes' reidence was used as the Headquarters of the Commander in Chief of the Government forces. The permit was given to Tsunetami Sano from Prince Taruhito Arisugawa, Commander in Chief. in this room.

ジェーンズ邸(熊本洋学校教師館)と日赤記念館

この建物は 明治4年に熊本洋学校が設立されたとき、アメリカからその教師として招かれた、リロイ・ライシング・ジェーンズの住宅として建てられたものです。
ジェーンズの近代日本の発展に尽くした功績は大きく、熊本市ではその偉業を永く顕彰して行くため、ここをジェーンズの記念館として公開しています。
また、この建物は、日本赤十字社の前身である「博愛社」の発祥の建物でもあり日赤記念館としても資料の展示を行っています。
どうぞごゆっくりご覧下さい。

佐野常民は 西南戦争が勃発すると, 戦場での負傷者を救うため民間の救護団体結成の決意を固め, その実現のため努力を続けます。
 当時の政府には 敵, 味方の区別なく負傷者の救護を行うことが受けいれられず救護団体の結成は困難を極めます。
 明治10年(1877)5月1日 佐野常民は熊本城内の総督本営 (当時ジェーンズ 邸が本営として使用されました) を訪れ, 征討総督 有栖川宮熾仁親王, 参軍山県有朋らに救護団体結成の目的や必要性をうったえました。有栖川宮熾仁親王もその主旨を聞かれ, 心から感動され, 即刻許可の意を表されました。
 佐野常民は, 直ちに救護団体の設立請願書を書き, 5月3日に本営へ提出し, 本営も同日設立の許可をします。
日本赤十字社の前身である「博愛社」がここに誕生しました。

地図

地図

熊本市中央区水前寺公園 付近 [ストリートビュー]