大野北 学校教育 発祥記念碑
おおのきたがっこうきょういくはっしょうきねんひ
横浜線 矢部駅の西1km。“フルヤゴルフガーデン”と“大野北小学校”の間に「相模原市立大野北中学校」がある。この学校の奥、運動場の北の端にフェンスで囲まれた一角があり、そこに写真の石碑が建っている。
碑の表面には「奨学の碑」とあるのみだが、裏面に「大野北学校教育発祥記念碑建設委員会」とあり、この地がこの地域一帯の学校教育の発祥の地であり、大野北小学校・中学校の歴史が刻まれていることがわかる。
碑が建てられた趣旨と学校の歴史は、碑文に見る通り。
写真
碑文
奨学の碑
淵野辺のこの地は 明治の学制公布の頃から郷土の先輩が勉学にいそしんだ記念の地であります 星霜百年の時勢の変遷はあったが 多くの人材がはぐくまれ 師弟の至情をかよわし合った処です
ここに学ぶ者は つねに大らかな志望と努力をもって 社会に 役立つ人となることを目ざして励みましょう
明治百年にあたり 大野北地区 小中学校開校の沿革を記念し 卒業生ならびに学校育成にかかわる有志者相図って この記念碑を建設します
昭和42年5月5日
大野北学校教育発祥記念碑建設委員会
大野北学校教育発祥記念碑建設委員会
昭和42年 1967年 5月建立
題字 勲五等 石井兼吉
撰文 書 校長 伊従 博
設計 教諭 船田 武
刻字 上溝石工 梅田 三
施工 淵ノ辺 松本九十九学校創立の沿革
明治5年 5月 渕博学舎創設
同6 4 渕辺学校と改む。神奈川県
管内第八十一番小学
同8 同校にニ分校を置く
同25 9 尋常大野小学校と改称
大正2 3 尋常高等大野小学校設立
同3 10 大野北分教場校舎新築
昭和17 5 大野第二国民学校創立
同22 4 同 小学校となる
同 大野北中学校創立
同28 5 中央小学校創立
同32 7 大野第二小学校を改称し
渕野辺小学校となる