大分県病院 兼 医学校 開設の地
おおいたけんびょういんけんいがっこうかいせつのち
日豊本線 大分駅の北西700m。昭和通りに面してNHK放送局,全日空ホテル,iichiko文化センターなどが入っているOASISひろば21という名前の複合施設(大分市高砂町2-50)がある。この建物に向かって右側の地下駐車場の入口近く敷地北西隅の植え込みに「大分県病院兼医学校開設の地」「大分県看護教育発祥の地」 という2つの記念碑が並んで建っている。
明治新政府は,医療技術としてはそれまでの漢方医術に代わり西洋医学に順次転換することになり,全国に病院を開設していった。明治10年(1877)の病院数は 官立・私立を併せて159に及んだという。 大分県では 明治13年(1880),この地に医師養成機関を兼ねた県立の病院「大分県病院兼医学校」を開設した。
その後、貧困家庭に対する無償治療などが原因で財政的な問題を生じ,一時的に私立「大分病院」となったが, 伝染病が流行したことを契機に,明治32年(1899)に 再び「大分県立病院」に戻った。
終戦直前に空襲で病院が全焼したが、戦後すぐに再建。その後順調に規模を拡大していったが, 施設の老朽化・狭隘化を解消するため,平成4年(1992)に大分市豊饒に新しい施設を建築して移転した。
跡地には平成10年(1998)に“OASISひろば21”が建設された。
写真
碑文
大分県病院兼医学校開設の地
明治13年(西暦1880年)3月