連歌 発祥之地

れんがはっしょうのち

筑波山の中腹にある「筑波山神社」の 800mほど西に 「筑波山梅林」と「がま公園」がある。梅林観光客のための駐車場脇に「連歌発祥之地」と書かれた歌碑と その説明板が並んで建っている。

連歌れんがは, 2人以上の人間が 和歌の上の句と下の句をつないでいく 詩の一種で, 「筑波の道」とも呼ばれる。説明立札にもあるように, 『古事記』に記された 倭建命やまとたけるのみこと御火焼翁みひたきのおきなとの問答が 連歌の最初とされる。この連歌は 甲斐の酒折宮で作られたため, 山梨県(酒折宮旧跡)にも「連歌発祥の地」の碑が 建っている。

写真

  • 連歌発祥之地
  • 連歌発祥之地 説明札

碑文

連歌発祥之地

倭建命

にひばりつくばをすぎて
  いくよかねつる

御火焼の老人

かがなべてよにはここのよ
  ひにはとをかを

歌発祥之地 歌碑

『古事記』によれば, 倭建命ヤマトタケルノミコト東征トウセイの 帰り道 甲斐カイ(山梨県)酒折宮サカオリノミヤにお着きになった時「常陸ヒタチ新治ニイハリ・筑波を過ぎて幾夜寝たのだろうか」と歌われたところ 御火焼オヒタキの老人が「日数重ね夜には九夜で日には十日です」とお答えした これが連歌の初めとされ 連歌を「筑波の道」ともいうようになった

倭建命の東征想定ルート(古事記)

  男体山頂に倭建命ヤマトタケルノミコトが展望されたといわれる巨岩の連歌レンガ岳あり ミコトをお祀りしたお社もあります また 筑波山大御堂では 江戸時代 連歌の間で連歌の会が行われていました

[略地図が添付されている]

地図

地図

つくば市沼田 付近 [ストリートビュー]