ロケット 発祥之地(移設)
ろけっとはっしょうのち
中央線 西荻窪駅の1kmほど北、日産自動車の荻窪事業所があった場所の南西隅。現在は工場敷地の一部が日産の販売店となり、その他の広大な敷地はまもなく住宅団地に変貌しようとしている。この場所には、日産自動車になる前はプリンス自動車工業、その前は富士精密工業という会社があった。
碑は1mぐらいの立方体の石の台座の上に置かれ、石碑上面中央にガラス蓋のついた窪みがあり、その中にペンシルロケットの実物大模型が入っている。ガラスに貼ったシートが剥がれかかっているため、中に標示している文字が読み取れないのが残念である。
日本におけるロケット技術の開発は、糸川英夫教授率いる東京大学生産技術研究所が、民間の機械・化学メーカーと協力して推進した「ペンシルロケット」が最初である。昭和30年(1955) には、全長わずか23cmのペンシルロケットの発射実験に、また全長1m余のベビーロケットの発射実験に成功し、その後のロケット開発の基礎を作った。
なお、 この碑と同じ場所に「旧中島飛行機 発動機 発祥之地」碑が並んでいる。
理由はよくわからないが、碑は区に寄贈され、平成4年(2022) 頃 杉並区立桃井原っぱ公園(杉並区桃井3丁目8-1)に移転した。