両面宿儺 発祥の地

りょうめんすくなはっしょうのち

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どなたか見てきてください!

高山本線 高山駅から北東に18.4km、標高900mに広がる日本一高所にある観光鍾乳洞である飛騨大鍾乳洞(高山市丹生川町日面1147)。そのすぐ手前に、両面宿儺遥拝所が設置されている。両面窟(両面宿儺洞)へはここから階段を280段ほど登ったところにあるのだが、立ち入ることが禁止されている。

写真


碑文

両面宿儺発祥の地

両面宿りょうめんすく儺洞」

超人「両面りょうめん宿儺すくな」の伝説

五世紀の初めころ各地に農耕がはじまり、豪族が村を支配するようになった。
出羽ケ平でわがひら(この地)に居住していた両面宿儺は大きな力を有し、飛騨ひだ統率とうそつ善政ぜんせいにより住民にあがめられていた。
ところが、日本書紀に出てくる宿儺は化けもののような人間で顔が前後にありゆみつるぎおのたくみにあやつる四本の手、前後左右にけめぐる四本の足を持っている身のたけ三メートル、五十人力の超人で横暴おうぼう略奪りゃくだつなど悪人の権化ごんげのように仕立て上げている。
大和朝廷やまとちょうていは全国統一のため反抗する両面宿儺をつよう武振熊たけふりくまつかわした。
宿儺は美濃みのの国まで出かけ待ち伏せたが逆にすきをつかれて破れこの地へのがれた。朝廷の軍は追撃ついげきしてこの岩壁での攻防を繰り返したが遂に大軍にはかなわず宿儺は殺された。
この出羽ケ平が両面宿儺生誕、かくれ家といわれ「両面窟りょうめんくつ」として語りつがれている。

丹生川村
両面宿儺遺跡保存会

両面宿儺の伝説

八世紀に朝廷によって編纂された『日本書紀』には、飛騨を統治していた豪族「両面宿儺」についての記載がある。これによると、宿儺は前後二面の顔を持ち弓・剣・斧を操る四本の手、四本の足で敏捷に駆け、身の丈は三メートル、五十人力の怪人で、朝廷の支配に従わない反乱者として描かれ、大和朝廷によって派遣された「難波根子」によって最後は誅伐されたとされる。
一方、飛騨において、宿儺はこの地域を開拓し、また、中央集権から地域を守った英雄であったとも伝えられ、今も語り継がれている。丹生川町にある千光寺には、江戸時代の遊行僧円空が遺した両面宿儺坐像のほか石造の宿儺像が祀られており、今でも地域で大切にされている。さらに、飛騨びとの祖先としての言い伝えもあり、この辺り(丹生川町日面出羽ヶ平)が居住地であったとされるが、美濃や飛騨金山にも伝承地があることから、各地に拠点を持っていたとも考えられている。

高山市
両面宿儺遺蹟保存会

地図

地図

高山市丹生川町日面 付近 [ストリートビュー]