聖母女学院 発祥の地

せいぼじょがくいんはっしょうのち

大阪環状線・地下鉄 玉造駅から北西に900m、森ノ宮駅から南西に800m、大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂(大阪市中央区玉造2丁目24-22 カトリック玉造教会)南西建物脇の植栽の中に、約40cm四方のOTセラミックス製の碑が設置されている。

明治33年(1900)、カナダから来日したカトリックの修道女、メール・マリー・クロス(Mère Marie de la Croix、通称マ・メール・クロス)が、この地で聖母女学院を設立した。これが、聖母女学院という教育機関の始まりである。マ・メール・クロスはシャルトル聖パウロ修道女会に所属しており、当初は貧しい子女のための教育を目的として活動を開始した。

聖母女学院が設立された玉造東雲町には、当時すでにカトリック玉造教会(明治27年(1894) に聖アグネス聖堂として開設)が存在しており、マ・メール・クロスらはこの教会の敷地内にあった建物を仮住居として利用し、教育活動を始めた。大正12年(1923) 3月創立、同年4月に生徒27人で開校した。

設立後、聖母女学院は女子教育の必要性に応える形で発展し、高等女学校、小学校、幼稚園などを併設する総合的な学園へと成長していった。発祥の地である玉造の地は、その後も聖母女学院の重要な拠点として、長期にわたり教育活動が続けられたが、現在は学院の施設は移転し、玉造には無い。

聖母女学院を語る上で「マ・メール」が度々登場するが、フランス語で「母」を意味する「マ(Ma)」と、修道女の敬称「メール(Mère)」を組み合わせた呼称で、尊敬と親愛の念を込めて使われる。創設者「マ・メール・クロス」は、クロスが姓であり、姓名としては Mère Marie de la Croix となる。メールが役職で敬称、マリーが名で、クロスが姓(または修道名)。


  • 制作:大塚オーミ陶業㈱
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写真

  • 聖母女学院発祥の地
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碑文

聖母女学院発祥の地

1923(大正12)年4月16日
この地に、ヌヴェール愛徳修道会の7人のマ・メールにより開校

学校法人 聖母女学院

2023(令和5)年 創立100周年記念事業

地図

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中央区玉造2丁目 付近 [ストリートビュー]