成年式 発祥の地
せいねんしきはっしょうのち
京浜東北線
蕨城は 南北朝時代に渋川氏が居を構え, 大永4年(1524) に 北条氏綱により攻撃されて破壊されたといわれている。江戸時代には徳川家康が城跡に御殿を置いた。 現在 城の遺構としては わずかに堀跡が残るのみ。昭和49年(1974) 市制15周年記念事業として城址公園と市民会館が建設された。
発祥碑の隣には「青春」碑が建っている。
写真
碑文
成年式発祥の地
第二次世界大戦は昭和20年8月 永い歴史を有する我国にとってかつてな い敗戦という悲惨な結果をもって終結した 終戦直後 国民はひとしく路頭に 迷い 社会の混乱と民心の虚脱はその極に達した とりわけ国家社会の建設に 大きく貢献してきた青年たちが受けた打撃は想像に絶するものがあった
これを憂慮した当時の蕨町青年団長高橋庄次郎は これらの青年こそ祖国再 建に力を結集し 英知と勇気をもって新しい国づくりの理想実現に向かって先駆 者となる自覚をもつべきであると考え 団員と協議を重ね 幾多の困難を克服 して有識者の理解と協力のもとに成年式を企画した
昭和21年11月22日 蕨第一国民学校校庭に20才を迎えた成人者 を招き 全国に先がけて第一回成年式を挙行し成人者にその趣旨をを訴えるとと もに激励し その前途を祝福した この成年式のもついわれと意義は高く評価 され 昭和23年7月 国民の祝日として成人の日が制定され 爾来 全国 各地において成人式が催される端緒となった
ここに当時に蕨の青年たちの発想を後世に伝えるため 埼玉県の協賛を得て 成年式発祥を記念し 蕨市制施行20周年 成人の日制定30周年の佳き機に あたり 無限の可能性を表徴してこの像を建立したものである昭和54年1月15日
蕨市 蕨市教育委員会
昭和五十四年一月十五日
建立 蕨市
彫刻 入江 勇
題額 高橋庄次郎
撰文 蕨市教育委員会
青春
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力, 逞しき意志, 炎ゆる情熱, 怯懦を却ける勇猛心,
安易を振り捨てる冒険心, こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが, 情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や, 狐疑や不安, 恐怖, 失望, こう言うものこそ恰も長年月
の如く人を老いさせ, 精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと, その胸中に抱き得るものは何か。
曰く 驚異への愛慕心, 空にきらめく星辰, その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰事に処する剛毅な挑戦, 小児の
如く求めて止まぬ探究心, 人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に朽ちる。
天地より, 神より, 人より, 美と喜悦, 勇気と壮大, そして
偉力の霊感を受ける限り, 人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え, 悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽い
つくし, 皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば, この時にこそ
人は全くに老いて, 神の哀れみを乞うる他はなくなる。原作 サミュエル・ウルマン
邦訳 岡田吉夫「青春の碑」
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まる「青春」は, 青年から高齢者に至るまで, 年代を超え多くの人々に勇気と希望そして深い感動を与え続けています。
この詩の原作者は米国人のサミュエル・ウルマンで, 蕨出身 の岡田義夫氏が翻訳したものです。これはまさに岡田義夫氏 育んだ郷土蕨の誇りでもあります。よって, 市民へのメッセージとして, この碑の建立を企図した次第であります。平成5年4月