西洋劇発祥記念碑
せいようげきはっしょうきねんひ
日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは,天文20年(1551) に豊後国の大名・大友宗麟に招かれて大分に渡りキリスト教の布教を行った。
このため大分は日本に於けるキリスト教の中心地となり,早い時期から西洋文化が取り入れられた。教会が建てられ,賛美歌が歌われ,クリスマスになると信者たちによって宗教劇が演じられた。これは 日本最初の西洋劇であった。
レリーフに刻まれているのは『ソロモンの裁判を願った二人の婦人』(THE JUDGMENT OF SOLOMON)から,ソロモン王が自分が母親だと主張する2人の婦人に子供を引っ張らせ, 先に手を離した方を母親と認めた,という逸話を演じた場面だという。
日豊本線 大分駅の北東700m。城址公園から南に伸びる大分県庁の西側の大手通りの中央部分は“遊歩公園”と呼ばれる細長い公園となっていて,多くの彫刻や石碑が建てられている。その中に「西洋劇発祥記念碑」と書かれたレリーフとその由来を記した石碑がある。
写真
碑文
西洋劇発祥記念碑
この地にキリスト教が布教されて9年後の1560年(永禄3年)のクリス マスに,府内(大分市)のキリスト教 会では信者の手によって,「アダムの堕 落と贖罪の希望」,「ソロモンの裁判を願 った二人の婦人」等々の西洋劇が演ぜ られた。これが日本における洋劇の最 初である。
以来,府内教会ではクリスマスや復 活祭に,聖書に基づく数々の宗教劇が 演ぜられるならわしになった。
図は前記ソロモンの裁判を願った二 人の婦人の一場面で,日本彫塑界の権 威東京芸術大学教授舟越保武先生の制 作で,小社創業10周年記念事業の一つ として,大分市に贈るものである。昭和49年10月31日
株式会社 マリーンパレス
取締役社長 上田 保 識
糸永 求 書